今月のはじめ、年末に亡くなっていたという中村メイコさんや八代亜紀さんのニュースを知って、何となくなつかしくネットを検索していたら、パントマイムのヨネヤマママコさんが去年の9/20に老衰で亡くなっていたことを知った。いつもエネルギーを絶やすことなく新たなパフォーマンスに挑戦していたので88歳で「老衰」と言われてもピンとこない。(下の映像は78歳の時のもの)
ママコさんは私の人生と深く関わった友人で、なつかしさに駆られて、彼女からもらった手紙やFAXを読み返した。
ブログには意外と出てこないことが分かったので、これを機会に彼女との思い出をいろいろ書いていこうと思ったのだけれど、実は、何十年たっても口外できないことがいくつもあることが確認できた。ペアでやるある演目について、マルソーのソロの演目にヒントを得て、アメリカで13年かけて紡いだテクニックなのに、元のお弟子さんに剽窃された事情を嘆き、いつか書いて公にしたい、とも書いていたが、それもできないまま亡くなったので、彼女自身でさえ公表できなかったことさえいろいろあるわけだ。ママコさんはアメリカ時代のことを『砂漠にコスモスは咲かない』という半生記として出版されていて、フランスでの生活のことも書くつもりで準備していた。
彼女との出会いのきっかけを作ってくれた友人はその数年後に亡くなっている。
私のトリオが日本で最初に公演した年、2003/10/30のプライベートコンサートに出演してくれた時のことも、主催者側の色々な事情で当時からすでに極秘扱いだった。
彼女がベルギーで「禅とマイム」の「十牛」を披露した時のことも忘れられない。主催者の自宅に一緒に泊まったので、公演前の彼女の姿を実感として知ることができた。
工作舎の十川治江さんを紹介してくれたのもママコさん。十川さんはなぜか最初から熱心に私を応援してくれた。
検索すると、2019年の時点ではお元気で、「取締役にして、松岡正剛とともに『遊』を創立したレジェンド」とあった。(今は取締役からリタイアされたようだ。)
私はその十川さんの勧めで1996年に『バロックの聖女』を出している。この本のおかげで日本のヴィオラ・ダ・ガンバの奏者とつながりができたことも不思議だ。
そしてこの本のことについて、今回読み返したママコさんの手紙の中にこういうくだりがあった。
「十川さんより竹下さんの本が送られてきましたが、やはり、この方の編集される本が一番竹下さんのことを考えて作っていられるように思います。今売るか、それとも死んでも残るものを作るか、どちらの選択をするかは竹下さんにかかっていますからああだこうだ云えませんが、私はこの方の編集が一番良いと思います。」
残念ながらそれ以来十川さんとはお仕事できていないけれど、この本は私にとって特別な本のままだ。
ママコさんとの付き合いはお互いの公私ともに渡り、かなり深い関係は、彼女が埼玉のうちに引っ越すまで続いた。
その後も公演を観に行ったり食事をしたりした。
私の家や彼女のセーヌのうちなどで、二人でよく歌ったことも忘れられない。
私のギターで彼女が『青葉城恋唄』を歌ったり、私がピアノで弾くショパンのノクターンに合わせて彼女がジェスチャーをしてくれたこともなつかしい。(続く)