ママコさんがさがしているという家のことだが、フォンテーヌブローから遠くないところに、インドから亡命したチベットの高僧と住んでいるフランス人親子にこの話をすると、偶然、地域の広告で、セーヌ河の岸辺にママコさんの予算にかなう家がありそうだという。このことも、インターネットなどない時代だから、不思議なめぐりあわせだった。
そこに行くためはパリのリヨン駅からの電車に乗らなくてはならない。
「リヨン」というのはリヨン市ではなくリヨン駅だったんですね、とママコさんは納得した。
私たちはその広告を出している不動産屋に出かけた。
不動産屋さんに連れていかれた一軒目のことはもう覚えていないけれど、あまりピンとこず、ママコさんも即座にそこではない、と否定した。そして、二軒目。霧が立ち込めていた。
確かに、セーヌの岸辺に面した家で、道を隔てた岸辺の一角は、自分のうちのボートをつなげる私有スペースになっている。霧のせいで、セーヌの向かい側の景色は全く見えない。
大きな木のある広い前庭の奥にある家も霧に包まれてぼんやりとしている。でも、なんだか幻想的な雰囲気に包まれていた。もう誰も住んでいない別荘だった空き家なのに、かすかな脈動のようなものさえ伝わってくる。
これがママコさんの探していた家だというのが直感的に分かった。
空き家になっている家の中は傷んでいる場所も多く、住むためには手を入れる必要がありそうだ。
で、家具など何もないのに、なぜだか、浴室の洗面台の棚に、背広を着た男の陶器の人形があった。
「ああ、これだったんですね。私は踊り子のような違う人形を想像していたんですが、これだったんですね。」と彼女は言う。
家具も私物も何もないのに、置き忘れられた人形がぽつんと残っていたのだ。
決定的だった。
彼女の気になったことの一つは、前庭にある木の放つ「気」と、その木と家と、家の横の道、河との位置関係が、故郷で幻視したものと逆になっていたことだ。
このことをチベットの高僧に話したら、幻視する時に左右が逆になることはよくあることだから大丈夫だと言われた。
普通の感覚ならすでに信じられないような話なのに、高僧がさらりと答えたのはさすが、というか、非現実的な気がした。購入すると真っ先に高僧をに来てもらって「お祓い」というか「お清め」のようなものをしてもらった。木にも問題がないということだった。
内装工事の間、ママコさんは高僧の住む家に泊めてもらい、毎日「般若心経」を唱えるのだが、チベットの高僧も「般若心経」を知っていたので二人で唱えることもできた。
ママコさんはそれ以来、日本とフランスを行き来して暮らすことになるのだが、ある日、最初の工事中で彼女が日本にいる時、暖炉の工事か何かでセーヌの家に寄ってほしいと頼まれた。
ママコさんなしで行くのははじめてだったのだが、家を見たとき驚いた。
最初に見た時の幻想的な雰囲気や、いつも感じていた脈動のような「場」の力が全く感じられなくて、散文的な普通の家があるという感じだったのだ。
この時はじめて、最初のあの強烈なオーラは、家ではなくママコさんのものだったのだ、ママコさんがこの家と何かを呼応して「気」を発していたのだ、と腑に落ちた気がした。
この家は、その後、色々なメンテナンスを繰り返したり、空き巣に入られたり、1999年末の嵐で庭側の寝室の窓が壊れたりといろいろなことがあった。それでも、セーヌの岸辺には白鳥がたくさん来て、ママコさんはこの場所に豊かにインスパイアされているようだった。(続く)