(前の記事の続きです)
Q : ヨハネが「この世で自分の命を憎む者」と書いた時の「この世」とは何ですか?
A : ヨハネは「この世」に新しい意味を付与しました。自分の中にありながらそこから外に出なくてはならないもの、まさにex-isterと言うものですイエスはピラトに「私の国はこの世のものではない(ヨハネ18,36)と答えています。この世の外には、この世を超えるものがあるのではなく、この世から溢れ出るものがあるのです。イエスはこの世に、計り知ることのできない次元を出現させました。イエスはこの世に切り込みを入れることで、硬化した世界に裂け目を生じさせました。それはこの世を裁くためではなく救うためです。「型」が破られた世界だからこそ、その隙間から聖霊が注ぐのです。
Sekko : これは哲学者らしい展開だ。イエスの「自由」観とも合っている。真理の探究と自由とがセットになっているということだ。先入観の固まった世界の枠内でいくら考えようとも「真実」には近づけない。フランソワ・ジュリアンの言う「coïncidence」とは、固定化された「型」ということだと分かってくる。
でも、現代のようにすべてが相対化しすぎて切込みを入れるべき「型」がどこにあるのかもう分からないような時代にはどうなるのだろう。(続く)