Nathan Devers の新刊「Penser contre soi-même 」の解説を見て、はじめて、彼がラビになろうと考えていたほど敬虔なユダヤ人だったことを知った。(後に哲学を専攻しハイデッガーを研究した)
若くてかわいくて、しっかりした意見を言うけれど謙虚な青年だと思っていたけれど、こういう経緯があったわけだ。
タイトルも、「あえて自分自身と反対の立場に立って考える」という意味だ。
フランスだから、TVでもさまざまな「論戦」があって、彼も時々登場するのだけれど、Aの立場がいいかBの立場がいいか、という論戦ではなくて、大切なのは常に「新しい疑問、設問」を考えることだと言っている。
26歳と若く、完全にデジタル社会で育ってきた世代だろうけど、このような「哲学」に到達したのは素晴らしい。20歳ですでにBHLの仕事の一部を任されている。
こういう陰影があって視野の広い立場に立てるのって、やはり、宗教的アイデンティティとの葛藤があったという経験がものを言うと思う。最初から「スピリチュアルなどサブカルチャーの一種?」みたいな育ち方をした若者にはなかなか難しいだろう。
そういう葛藤や、「自己否定」を経なかった若者は、SNSの世界のバイアスにも陥りやすいし、「大きな声」に洗脳されやすい。
この本、読んでみようかな。