成瀬和之さんから紀行文三部作の三冊目『女芭蕉の心意気--桑原久子の旅日記から』(二荒詣日記)をいただいたのを読んで、知らないことばかりだったのでとても興味深かった。
田中真砂子さんの挿絵がすばらしく、エレガントな中に確かさと温かみがあって、「女芭蕉」たちの心意気にぴったりだ。
表紙の絵もすてきだけれど、木々と橋のコントラストが、覚醒夢のような世界に誘ってくれるこの二つの絵は手元に飾ってずっと見ていたいくらいだ。
江戸時代の商家のおかみさんたちが関所を避けながら何ヶ月も旅していて、それを歌日記にしているなんて全く知らなかった。
知らないと言えば、鎌倉の大仏の「猫背」の話のことも考えたこともなかったし、さまざまな歴史のエピソードも、「旅」と組み合わせると生き生きと伝わってくる。筆者が教育者だったこともあって、音楽と言葉の話や教育再定義などのテーマも選択されていて、色々考えさせられる。
特に衝撃的なのは、中井久夫さんの『戦争と平和 ある観察』の中から引用されている文だ。
>>>人間が端的に求めるものは「平和」よりも「安全保障感」である。(…)「安全保障感」希求は平和維持の方を選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。<<<
これを読んだ時、昨今の軍事費増強などのことより、真っ先に浮かんだのが、コロナ禍における反応だった。フランスが「緊急事態」の名のもとに店舗、集会の閉鎖、外出制限やマスク着用の義務化やワクチン証明などの全体主義的条例を次々に繰り出したとき、多くの人が、「自由」よりも「感染リスクを減らす」という安全保障感を求めた故に従った。「生きる」ことより「感染しないこと」を優先したのだ。
私は身近な戦争を知らない世代だが、そして私の世代のフランス人も戦争を免れた人たちで、ずっと「自由」の恩恵を受けてきたのに、ミサイルが飛んでくるわけでもない「ウィルス蔓延の過剰報道」だけで、いとも簡単に、「自由」を手放したのだ。
最初の2ヶ月の後で、宗教施設や書店、美容院などが、食品や医療と同様「エッセンシャル・ワーク」であることを政府に認めさせて再開したのは評価できるけれど、「安全保障感」優先を手玉にとった数々のプロパガンダのことは忘れることはできない。
日本で読んだ『文藝春秋』5月号に、コロナのワクチン被害が告発されていたけれど、それも含めて総括しなくてはならない。
ロックダウンにせよ自主的な外出制限、ステイホームにせよ、戦争中の灯火管制にせよ、自由のないところに文化はなく教育もない。
江戸後期の日本、鉄道やGPSがないどころか、女性が関所を超えることすら禁じられていた時代に、歌を詠みながら旅をした女たちの足跡をたどることは痛快でもあり、私たちに何が人生の「エッセンシャル」であるかを教えてくれる。