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L'art de croire             竹下節子ブログ

Gwyneth Hughes と話し、著書をもらった

5月の半ば、パリ12区の大通りに面したアパルトマンに一人で暮らすマダム・ラスリーを訪ねた。コロナ禍はじめの頃からいろいろな雑誌を回してもらっていたけれど、今年95歳の高齢の彼女に会いに行くのはずっとはばかられていた。

雑誌についてはこれまでに何度も記事にしている。



会って初めて、彼女がイギリス人女流作家ではなくて、イギリスでデビューしたアメリカ人作家だと知った。
これまでに私に回してくれていた「女流作家」のためのコンクールやデビュー、出版のノウハウに特化した雑誌は、後進の若い作家の手伝いもする彼女のもとに雑誌社が送ってくるものかと思っていたら、彼女が定期購読しているものだった。90歳を超えた今も、常に「なにをどのように書くか」を模索しているのだということが分かった。

「小説の書き方」の研究は彼女が小説家になろうと決心してから一貫したもので、このようなノウハウ本もくれた。
英米文学の徹底的な実用的ダイジェストで、フランスのバカロレア準備のための文学史総覧みたいなものではなく、本気で文体の模索や研究に使うもののようだ。

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「文豪のように書く」というハウツー本もある。
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有名文学作品の出だしのパラグラフを列挙して、最初から読者の心をつかむ方法を解説する本や、アマチュアを対象にした小説DIYの指南本も。

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いろいろな本を読みこんできた読書家が作家になった、というのなら分かるし、ハウツーを研究しなくても、インスピレーションに従って最初の本を書くとか、好きな小説家に影響を受けて書く、というのも分かるけれど、これだけシステマティックに「作家への道」を示す本が存在しているのはほとんどカルチャーショックだ。日本やフランスでこんなジャンルは見たことがないし、日本ならむしろマンガの市場が大きいから、「売れるマンガ」の指南本の方がありそうだ。

で、彼女を訪問する前に建物の下にある花屋に寄ったのだけれど、花瓶に入れ替えたり、水を足したりするのは負担になるだろう、と迷った末、こういうのをみつけた。
完全な水草で、中の金魚は作りものだけれど自然な感じでふわふわと動いている。
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とても喜んでもらえた。思ったよりも、体が不自由で、世話いらずのプラントがぴったりで、しかも、イマジネーションが刺激される。
そして、この日にもらった彼女の短編集2冊を読み始めて、さらに、このプラントの不思議な世界が彼女にぴったりだと分かった。
この短編集、タイトルからして魅力的だ。
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この2冊目の裏表紙にある「所有者であるヴィルチュオーゾを守るために罪を犯すヴァイオリン」という文に興味を持って、帰宅してから「CODA」というタイトルの園短編(というかショートショート)をまず読んでみて、驚いた。
たまげた、と言った方がいいかもしれない。
午後におしゃべりした90代のエレガントな女性のイメージとかけ離れている。

ざっというと、

コンサートがドタキャンになったバイオリニストが、高価な楽器をかかえて、夫に知らせずに、豪華なアパルトマンに戻ると、奥のアトリエで絵を描いているはずの夫がリビングのソファでテレビのリモコンを持って膝に抱いたテレビの画面に口づけしていた。その姿に怒ったバイオリンがケースから飛び出して夫の頭を直撃して殺す。バイオリンの犯行を隠すために、バイオリニストは夫の死体をアトリエに運んで裸にしてニスで塗り固めて…

という感じのストーリー。

思わず他の作品も読んだがすべて、不条理と悪夢と不思議さのコンビネ―ションで、確かに、最初から読者の心をつかんで最後まで読ませるというハウツー本のテクニックのお手本のように書かれている。
私は少女の頃からエドガー・アラン・ポーやロアルド・ダールが好きでたくさん読んだくらいだから「異色短編」というのは嫌いではない。
でも、例えばこの「CODA」を読んで、「おもしろい」というより、会って話したばかりの上品な老婦人の求めているものの「辛さ」のようなものを感じてしまった。

で、作者の経歴も不思議なのだ。
彼女は、カリフォルニアで生まれ育って、プロのオペラ歌手としてパリに留学、ラ・ボエームなどにも出演していたが、フランス人の医学生と知り合って結婚、夫は癌の専門医となりパリの病院勤務、彼女は二男一女の母となり、歌手のキャリアを明らめ、主婦でもできる仕事を探して、作家になることにした。で、徹底的にノウハウを研究し、イギリスの出版社に投稿を始めて、短編や戯曲を発表するようになる。

娘はベルサイユに住むが、息子たちはスペイン女性と結婚してロンドンに住むなど、インタナショナルに暮らしている。
彼女は5,6年前までは一人でメトロに乗ってどこへでも出かけることができるほど元気だったが、ある日、娘と外出中に突然両足先の感覚がなくなった。
それから麻痺はふくらはぎに、腿へ、腰へと進んでいった。今は胸の真ん中ほどまで進行している。

内臓、心肺は機能しているのだから、麻痺はいわゆるプロプリオセプションの喪失、自分の体がどこにあるかという感覚の喪失なのだろう。
神経疾患でもないらしく、50人以上の専門医に診てもらったりありとあらゆる検査をしたが原因も病名も治療もできないままだという。
それでも手指は目視しながら動くのでキーボードは打てるし、首から上には何の問題もない。95歳にして、眼鏡も必要なく補聴器も必要なく、私と数時間話しても問題ないのだ。
彼女は父方の先祖はゴール地方出身だが、無神論者で自分も無神論者、亡くなった夫も無神論者、子供たちも無神論者だという。
これにも驚いた。彼女の世代のアメリカ人ならほとんどは出身地や居住地によって「所属するキリスト教系宗教の共同体」に属しているものだと思っていたからだ。
しかも、例えば幼い頃には洗礼を受けたが今は無関心、などというマジョリティと違って「無神論者」を自称するということは、フランスではイデオロギーだ。つまり「反宗教」の立場を表明していると言っていい。

で、次は、ウォーキズムやキャンセルカルチャー、MeTooやネオフェミニズムについての意見を聞いてみた。フランスに60年以上暮らしているアメリカ出身女性の観察、感覚などに興味があったからだ。

結果は…。

「長編小説を書くことを夢見たが果たせず、母国語でショート・ストーリーや戯曲や詩を発表することを生き甲斐にしてきた女性」ならこう考えるのだろうなという「想定内」のものだった、としか書きようがない。

私がフランス普遍主義型のフレンチ・フェミニズムへの支持を述べるとまるで初めて耳にしたように感心していた。

100歳のオディールと過ごす時間とは違う種類のものだった。

「自由」とは何で、どこから生まれるのだろう。




by mariastella | 2024-06-05 00:05 |
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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