(前の記事の続きです。)
経済成長の愛国心
個人が共同体のために自分の利益を度外視して働く、または生活苦を我慢する、という「犠牲」は、モラルの側面と宗教的側面の2つがある。
トリクルダウンなどの経済理論は、富裕層がさらに富裕になると富の再分配が自然に起こると言ってきたし、みなが少しずつ我慢して国の赤字を減らせば社会保障などが改善される、とも言われたが、実際はそうなっていない。共同体のみんなが助け合ったり利益を分け合ったりするモラルに依拠した「犠牲」というのは実際は効果を上げていない。
それでも多くの人が個人的な利益を考えずに「犠牲」を受け入れるのは、「国家」の基礎にある国民の義務と徳をもう一度意識化しようとするからだ。すべての人が自分の利益だけを追求する分かりやすい自由市場、市場原理主義がデフォルトになっているのかと思われそうだが、実は、人々は、国家を神のような上位の存在だと認めて、国家のために自分を犠牲にするという側面がある。
それは戦争と同じだ。「国家の存亡の危機」と言われれば、自分の命の危険も顧みず敵との戦いに前線へ向かう兵士たちがいる。
つまり、ネオリベラル国家というのは人々を個人主義へ追いやるのではなく、国家の「経済成長」を是とする愛国主義へと招くものなのだ。
こうして、国家の平和と繁栄を望むという、個人主義、利己主義を超えた宗教的な犠牲精神が、経済活動や日々の暮らしにまで及ぶようになる。(続く)