「殺す」ということ (続き)
(前の記事の続きです)
ルコワントル将軍の話を聞き、軍隊、兵士というものが、命令遂行の義務、国や国民んを守る義務の遂行を誓い、それは最終的には「殺す義務」があることをあらためて意識した。警官(内務省)や憲兵(軍隊管轄)にも市民の安全を守る義務があるが「殺す義務」はない。ぎりぎりの正当防衛をのぞいては、どんな悪質なテロリストや殺人鬼でも司法の手に渡すのが仕事だ。でも戦場に送られる兵士は殺すか殺されるかの修羅場以外に、戦略として命令されれば子供のいる市街地や難民キャンプにだって爆撃機という安全圏から爆弾を落として「殺す」ことも厭わない。 そのためには「原罪」だの「本能」だの、「無意識」だの、何か分からない闇に潜む「殺す喜び」が解放される。 そしてそれはずっと消えないトラウマとして残るのだとルコワントル将軍が証言しているのだ。「殺す」ことだけでなく、「罪悪感なしで殺す」こと、自衛反応としてアドレナリンが出て「殺す喜び」の倒錯が生まれること、そのことに対する罪悪感は決して消えないというのだ。 「戦争の怖さ」といえば「殺される」ことの恐怖ばかり考えていたけれど、それは「殺す」ことと一対になっている。天災や疫病で死ぬのも怖いけれど、「殺す喜び」を持つ同じ人間の高揚と向き合うわけではない。 では、自分にも「殺す喜び」という倒錯はあり得るのだろうか。 考えてもみなかった。 これまで、自分の手を下して殺した一番大きなものはゴキブリだ。学生時代、殺虫剤を手にして噴霧しながら浴室に追い込んで、どう考えても過剰に使われた殺虫剤の液の溜まりの真ん中で動かなくなったのを確認した。でもすぐにそれを取って捨てるのも怖くて、次の朝、まだ寝ぼけている時に始末することにしたのを覚えている。 ゴキブリに直接攻撃される可能性もなく、対等でもない必殺の立場なのに、怖くてパニックになったけれど、少なくとも「喜び」はひとかけらもなかった。罪の意識などという余裕もない。 思い返すと、たった一つ記憶に残る印象的な「殺す」場面は、子供の時に偶然アリの巣の入り口を壊してしまった時のことだ。どうしてそうなったのかは記憶にないのだけれど、次から次へと小さなアリが地表に出てきて、私は何度か、靴で踏んだ。多分ひと踏みで10匹以上「殺した」のではないだろうか。それでも真っ黒なアリがどんどん出てくる光景が悪夢のように映った。それが自分のうちの庭などでなくどこか「外」だったのは確かだから、すぐにその場を離れればいいようなものだけれど、どうして離れなかったのだろう。いや、離れたのだと思うけれど、少なくとも「踏む」というアクションを一度はしたのは確かだ。 そのほかにハエたたきを使ったことや蚊取り線香を焚いたことなどもあるけれど、それは不潔だとか刺されるといやだとかいう「理由」があったからかトラウマにはなっていない。 でも、どうして、アリの巣を? アリを殺すというより、アリの巣の入り口をもっと破壊して、どのくらい出てくるのか見たいという好奇心がひょっとしてあったのかもしれない。どっと避難して逃げ惑うアリを見てすごいなあ、と思ったかもしれない。「喜び」などなかったのは確かだけれど、高見の安全圏から圧倒的な「弱者」のアリたちの生活の場を破壊したことに罪悪感があったのかどうか分からない。いや、あったからこそ、65年くらい経った今でも思い出せるのだろうか。 今はドローンや長距離ミサイルが使われるから「市街地への空爆」の心理的ハードルは低くなっているのかもしれないけれど、間接的にせよ、発射ボタンを押すなどすることで「殺す」ことに加担するのは変わらない。 犠牲者を出してはいけない。でも「殺される」のと「死ぬ」のとは違う。 そして「殺す」ことはもっと異次元の、霊的領域の侵襲なのだ。 自分は安全圏にいて「殺せ殺せ」と命令する立場の「リーダー」たちのことから、「死刑執行」や「安楽死」や「中絶」に携わる立場の人のことやら、ラディカルエコロジストやヴィーガンやジャイナ教徒のことまで、もう一度じっくり考えて整理してみるきっかけになったのが、ルコワントル将軍の勇気ある証言だったことを肝に銘じておきたい。
by mariastella
| 2024-06-09 00:05
| 死生観
|
以前の記事
2026年 06月
2026年 05月 2026年 04月 2026年 03月 2026年 02月 2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月
カテゴリ
全体
雑感 宗教 フランス語 音楽 演劇 アート 踊り 猫 フランス 本 映画 哲学 陰謀論と終末論 お知らせ フェミニズム つぶやき フリーメイスン 歴史 ジャンヌ・ダルク スピリチュアル マックス・ジャコブ 死生観 沖縄 時事 ムッシュー・ムーシュ 人生 思い出 教育 グルメ 自然 カナダ 日本 福音書歴史学 パリのオリパラ 人生観 日本とフランス 未分類
検索
タグ
フランス(1380)
時事(824) 宗教(757) カトリック(672) 歴史(440) 本(316) アート(256) 政治(227) 映画(188) 音楽(162) 哲学(114) 日本(112) フランス映画(111) フランス語(97) コロナ(85) 死生観(63) 猫(57) フェミニズム(50) エコロジー(48) 思い出(43)
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||