脳科学者のステファン・シャルピエは自らが脳梗塞の後の昏睡状態から生還して、「復活の科学」という本を書いた。
本は読んでいないけれど、その彼の講演会の記録を視聴した。(フランス語OKの人はどうぞ。おもしろいです。)
誰かが死後に「復活」したのならそもそも「死んではいなかった」というのが、脳神経学の見解だというのは分かる。
興味深いのは、心臓の動きが止まって、酸素が供給されなくなり脳波が平坦になった後で、一時的に脳の電気パルスが復活する短い時間があるという現象だ。その理由は説明できるのだけれど、その間に「意識」されたものがいわゆる「臨死体験」なのか、それとも心臓の蘇生処置をすることで、フラットになっていた脳波が徐々に上向いていく過程で意識されたものが「臨死体験」なのか、どちらなのかは分かっていない。
死から「生還」した人が「これまでの人生が走馬灯のようにはっきり見えた」とか、「あの世の死者たちと出会った」などの証言をする場合の「臨死体験の持続時間」は、心電図と脳波が平坦になったしばらく後で最初に現れる「意識」の動きの持続よりもずっと長いものもある。それなら、救命処置の後、いわば「覚醒」の前段階の者なのだろうか。それとも二つの場合があるのだろうか。
ステファン・シャルピエは、臨死体験者の語る体験の持続時間は必ずしも脳波が戻る時間に対応しないと言っていた。
それは「夢」と同じで、数分の夢で長い体験をすることがある。
そういえばうたた寝で一生を体験するという話もある。邯鄲の夢というやつだ。
私自身の夢も、実際の時間より長いスパンの出来事が少なくない気がする。
臨死体験者が病床にある自分の周りの出来事を語る場合もあり、それによって、救命治療の段階を割り出そうとする試みもある。
最も「不可解」なのは「幽体離脱」というやつで、「魂」が外に出て、病室の様子を「上」から見るという言説だ。
錯覚、幻覚も含めたいろいろなケースがあるだろう。
死からの「復活」の決定的な証言のある「聖女」もいて、その話などは、医師による検証があってもあまりにもぶっとんでいるのでステファン・シャルピエもコメントできないと思う。
この世には、いやあの世との境界には、「説明できない」ことがいくらでもあって、見ないこと、聞かないこと、否定することが最も現実的な対応なのだが、人間の「意識」の秘密を探求する学者たちの粘りに引き続き期待したい。