オリンピックと言えば、テレビで視聴したり新聞雑誌で読んだりしたりという記憶がほとんどだけれど、そのどちらでもない二つの思い出がある。
その最初のオリンピックの思い出は、1960年のローマ大会。
テレビ画面などでも見たのだろうが、印象的だったのは、当時まだ小学生だった兄がさまざまな新聞記事などを集めてオリンピックに特化したスクラップブックを作成したことだ。私は何でも兄といっしょにやる器用で早熟な子供だったけれど、その大判(今思うとA4だったかもしれないけれど、当時の私には大きく見えた)の分厚いスクラップブックの表紙にローマオリンピックというタイトルがあり、その「編集」に感心したことを覚えている。兄を「尊敬」した。
次は、1976年のモントリオール大会。はじめてフランスから視聴するオリンピックだった。でも当時のフランスの一般家庭にはテレビすらないところが多かった。
思い出というのは、オリンピック開催中の「夏休み」にヴィシィでフランス語の語学学校に通っていた時のひとこまだ。
最初の簡単な編入テストは文法のペーパーテストなのでもちろん上級クラスに入れられた。聞き取りも話すことも未熟な私は後悔するばかりだった。周りの学生はブラジル人、エジプト人、アラブ人、スペイン人などで、多分読解力などの「お勉強」的には明らかに私よりもレベルが低そうだったのに、みな堂々としゃべりまくっていた。
で、オリンピックで初めてドーピングが話題になった頃で、ある日の授業で先生が、クラスを二つに分けて向かい合わせに座らせて、片側がドーピング絶対反対、片側が容認という立場で議論をするようにと言った。
私がどちら側に振り当てられたかは覚えていないが、日本語で考えればいろいろな議論を思いつくのに、「フランス語に訳す」ことができない。特に、ドーピングの薬物の語彙が全くない。ところが周りのスペイン語話者やポルトガル語話者などは多分自国語の言葉を少しフランス語風にして、どんどん発言する。もともと彼らは「間違い」も気にしない。私の隣に座っていたエジプト人の医者はどんどんと専門的なコメントを繰り出していた。文法的にも語彙的にも「正確」を期するというのがデフォルトだった私は圧倒された。
(そもそも、いろいろな言葉を「カタカナ」で覚えている私には「R」と「L」のどちらを採用していいか分からないことも多かった。日本語はできるだけ言語読みするのにフランス語はフランス風に読むことによる乖離も多かった。はじめは、「ソクラテス」や「アリストテレス」のような基本的な固有名詞ですら、「R」と「L」をどう振り分けるか一瞬分からなくなってあせったことがある。フランス語ではSocrate にAristoteだ。)
というわけで、東京オリンピックを別にすれば、私がオリンピックの年と開催地を即座に一致させることのできる二つの大会が1960年と1976年ということになったわけだ。