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L'art de croire             竹下節子ブログ

最悪のことを考えるのがデフォルトになったのを反省

思えば、コロナ禍以来、フランスでは不安をそそる言説ばかり流され続けた。

コロナ禍やワクチンに関する脅迫めいた言説の後、ウクライナ戦争、ガザ戦争、国家負債の増大、極右、極左の台頭、暴力事件や麻薬、安定与党の消滅、政治家の罵り合い、など、悲観的な話題ばかりが前面に広がる。

それに輪をかけるように、自分自身の「高齢化」、同世代の仲間の健康問題の浮上、親しい友人の死など、上の世代の親戚知人の事故、病気、認知症、死のニュースが相次いだ。少し前なら、そのような不安材料を日常に持ち込むことはなかったのに、今は、ちょっとしたことでも「最悪の事態」を想定して心理的にバリアをはることで自分を守るという妙な癖がついた。


映画のタイトルも内容も思い出せないのだけれど、冒頭シーンで家族が乗っている自動車が事故に遭う、というのがあった。たしか、その後で、生き残った父と娘の新生活の場でヴードゥー教か何か、呪術のようなものに娘が巻き込まれて、というようなストーリーだったと思う。

何が怖かったというと、すでに、映画の最初に大事故が起こることが観客の私には分かっていて、家族が楽しそうにドライブしている車内のシーンがほんのわずかだけ続いた後で、すぐに大事故が起こることだ。(事故の後はシーンは映さず、すぐに残された家族の生活に移る。)


一瞬の出来事だ。和気藹々と楽しそうにしている夫婦や子供たちは数秒後に起こる悲劇のことを知らないけれど、私は知っている。でも、どうすることもできない。そのことがショックだった。最初から戦争映画だとかギャング映画だとかなら自分とはかけ離れているからすぐに感情移入することはないけれど、その映画では、幸せそうな家族なのに「直後に決定的な悲劇が起こる」ということの確実性がトラウマになった。ストーリーの導入部に過ぎないのに、なぜかその恐怖だけがインプットされた。


で、以前はそれほどでもなかったのに、コロナ禍以来のここ数年間、ちょっとしたことで「ひょっとしたら最悪のことが」と無意識に考えることが増えた気がする。

家族や友人がすぐにLineに答えてくれなかったら、無事だろうかとスマホの位置検索をかけてみたり、メトロで向かいに座っている人の様子が不信だったら、ひょっとしてこの人は突然危害を加えるのではないだろうか、とか、ドライブとか小旅行とかに出る度に、何か事故に遭うのではないだろうか、と思うことが増えた。その度に、件の映画の冒頭の楽しそうな家族のシーンが思い浮かぶのだ。(16年前に二泊三日の小旅行に出かけた母が、最初の夜に倒れて二度と自宅に戻らなかった時の体験も刻まれている。)

体のどこかが痛む度にひょっとして「突然死」に至る何かの前駆症状ではないだろうかなどとネットを検索すると、さまざまな可能性について書いてあって恐ろしくなるということもある。


以前も、そんな不安を持った時、ローゼンタールの「運は数学にまかせなさい」というのを読んで少し距離を置けたことがある。(でもそれもコロナ前だった。)



それなのに、近頃は確率的には低いはずの「最悪の事態」ばかり最初に想定してあれこれ考えるようになっていたのだ。

外出時の不安などばかりでなく、自宅にいても、きょうあすにでも階段から落ちたり、何かの発作で倒れたりしたらその後どうやって生活していけばいいのかなどと考えることもある。11歳と7歳になった猫がゆったりと寝ているのを見てさえも、この子達たちが突然ものを食べなくなったり具合が悪くなったりしたらどうしよう、かかりつけの獣医さんがバカンス中だったらどうしよう、いつまで世話ができるのだろう、などと思ってしまう。


ところが、最近、偶然、コロナ前の2019年に参加した東大の公開講座のノートを見つけて読み返してはっとした。

その講座で、日本での地震への過剰な不安がなくなったのはよく覚えているのだけれど、「戦争と国際秩序」についての藤原帰一さんの講座で書き留めた言葉だ。


それは「限定合理性(Bounted rationality)」というものだ。


いろいろな使い方があるのだろうけれど、その時の私の理解では

「最悪の事態を想定しないことが合理的である」

とメモしている。


ローゼンタールの言うことと基本は同じなのだけれど、今それを見ると、確かに、コロナ禍と高齢化と戦争情報の増加が重なって翻弄されていたこの数年、すっかり忘れていた。


日常的に最悪の事態ばかり想定していたら、「生活の質」はぐっと落ちる。

ベーシックでリーズナブルな危機管理だけしていれば、後は、「その時」が来た時に対処すればいい、と割り切って気楽に生きる方が「免疫力」が高まるのは十分期待できるのに。


車の突然の暴走に出会うとか、サイコパスと同じ車両に乗合すとか、テロリズムにまきこまれるなど心配するよりも、冷静に考えると、さしあたってミサイルも飛んでこないし、音楽を愛する人が周りにたくさんいて、多くの善意の人、信頼できる人に囲まれている僥倖を最大限に感謝して、少しでも他の人に分け合うことを目指して生きていきたい。



by mariastella | 2024-08-01 00:05 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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