開会式の日と翌日の地方紙「ル・パリジャン」を買って、前と後、いろいろ比べた。


まあ想定内の愛国的記事で、雨はともかくテロや事故がなかった安堵は共通している。イギリスのメディアは二つに分かれて、雨合羽をかぶってひしめく観客の姿や、マリーアントワネットの首の写真などを一面にして「カタストロフィ」と打ち上げるものも。実際、マリーアントワネットの演出は、ロンドン五輪でのエリザベス女王の使われ方を意識したパロディだと演出家が語っていた。
フランス人がフランスの歴史的人物で登場させてほしかったのはナポレオン、ルイ14世、シャルル・ドゴールなのに、スルーされたことを不満に思う人も。セーヌ河畔の歴史建築の多くは王政時代のものなのだから、あまりにもバイアスがかかっているという。
評価されたのはノートルダムの修復やルイヴィトンなどの職人技メチエが紹介されていたこと。
ひどかったのは、やはり、ダヴィンチの最後の晩餐のパロディで、ドラッグクィーンやLGBTのシーンは、モロッコやアメリカで検閲がかかって放送されなかったのだそうだ。世界に何億というキリスト教信者への冒瀆だと、フランス司教団がすぐにコメントを出していた。
翌日の体操競技を見た人からのLine。座席の場所に矢印がある。
しかし、この開会式、フランスの歴史、文化への眼差しとマウンティングの微妙なずれが興味深かった。日本との関係も含めて考察を続けることにする。
ブログ内検索をしていたら、2018年にこういう記事を6回に分けて書いていた。
参考になるので忘れないようにリンク。
パリ五輪はエコロジカルだと自慢している。(選手村の備品や食品に採用されたのはすべてエコロジー優先だとか)スタジアムを建設しないでセーヌ河畔やいろいろな広場を舞台にするので、ロンドン五輪の予算は150億€だったのにパリは100億€(北京は200億€)とかで「経済的」だったとか。
こんな数字だけ並べられても、素人でも、いや、別のところで別の形で膨大な費用がかかり膨大な損失、犠牲が出ているでしょう、といいたくなるのだが・・・。
(付録)
ドミニコ会のユーチューバー司祭が、オリンピックの起源について別のユーチューバーの話を聞いているのを視聴した。
いつもエネルギッシュなアドリアン神父だが、相手のユーチューバーは歴史家でもあるが筋トレで有名な人。その対照ががおもしろい。
オリンピックがローマ帝国内で禁止されたのは四世紀末のテオドシウス帝によるもので、ジムナジウム(体育館)は「裸」という語源であるように競技が全裸で同性愛の温床でもあり、何よりもヘルメスやヘラクレスなどの神像に取り囲まれていたという理由が、ローマ帝国がキリスト教化しつつある時代に合わなかったからだと言っている。ジウナジウムの火災というきっかけもあったらしい。
もともと、オリンピアード競技は供儀の典礼で、戦いに生き残ったものだけが勝者、敗者はその場に葬られたとか。でも、ローマ帝国は「パンとサーカス」で知られるように、「競技」よりも「ゲーム(遊戯)」を楽しんだ。観客型スペクタクルというわけだ。
ローマ・カトリックが廃止したオリンピックが、19世紀末にディドン神父が「より速く、より高く、より強く」と青少年の教育で復活させたのをきっかけに近代オリンピックになったというのは皮肉でもある。
(古代オリンピックは、既婚女性は観覧できなかったらしい。夫たちの比較を避けるためだったとか…)
(挿入されている図を見るだけでもなかなか迫力があります)