2008年の北京大会で、自由形100mで優勝したアラン・ベルナールという水泳選手がいる。
多くのライバルの中で彼がどんどん記録を書き換えていったことは記憶に新しい。その彼が、記録に挑戦することについてインタビューされて答えていた内容に驚いた。
以前にも書いたが、日本のスポーツ選手は概して口数が少ない。「皆さんのご支援に感謝します。」とか敗退した時などは、「期待に沿えなくて申しわけありませんでした」などとなるのがほとんどだ。
フランス選手は感想にしろ、言い訳にしろ、よくしゃべることが多い。
で、アラン・ベルナールなのだが、自分のそれまでの限界を超えての記録を出すときの精神状態について聞かれて、誰でも、例えば自分にとって全速力で数分?走ってみると、脚や全身の筋肉に行く酸素に限界が来て、脳が「もうやめろ、これ以上走ったら死ぬぞ」と指令を出すのを体験できると言った。その指令をかわす術を習得するのがコツで、その限界を越えたら、一瞬の間に、自分がはじめてプールに入った時、子供の頃などの思い出が走馬灯のように駆け巡るのだそうだ。
短距離だから、1分も持続しないのだがその中で脳が想定している以上の力を出すと、そういう状態になるのだという。
これって、ほとんど臨死体験では? と思ってしまった。
死ぬ前にはだれでも、それまでの人生が早送りで展開するのを見る、という話はよく耳にする。
相手のある格闘技などでは相手の出方を絶えず見て分析して咄嗟の攻防を決断しなくてはならない。個人競技でもたとえばフィギュアスケートとか体操とか、基本的にはどんなに難しくても自分の体力と技術の範囲の演技をしながらいかにミスをしないかに集中する。
けれども、筋肉の力により頼む短距離のタイム争いとなると、プロの選手はすでに体の使い方、動きなどでは改善の余地のないレベルだろうから、後はいかに筋肉を極限まで動員するかということになる。
で、脳にプログラムされている限界を超える力の使い方をするスポーツ選手の頭の中は、ひたすら「集中」とか「無私の境地」とか「純化された闘志」からなっているのかと思っていた。
ところが、生理学的にプログラムされた限界を突破された脳がバグを起こしたようになっているとは驚きだ。
ドーパミンなどドラッグでその制限を無化されて記録を伸ばすという時代もあったろうし、これからはAIによる分析などでより合理的に記録を縮めるという時代になるのかもしれない。
しかし今でも、ある種の短距離泳者の脳の中では、自分の一生のエピソードが駆け巡っていることがあるのかと思うと、人体の不思議さにあらためて感動する。