パリ五輪の開会式のセレモニーは、本当にパリにしかできないという演出で、その毀誉褒貶とどしゃぶりとで、五輪史的にも社会学的にもおもしろいものになった。
折しも、フランスは暫定内閣しかない不安定な時期で、政治的にもさまざまな評価があったので、あらゆるタイプの新聞、雑誌、ネット記事などを渉猟することになった。
全てフランス語のものだけれど、日本語の記事も、ネットで拾っている。
日本はくじ運が悪かったというか、3年前の無観客開催の後という複雑な立ち位置だったから、バイアスがかかっているのは仕方がない。
好意的な記事もあるけれど、揶揄するものもあって、誤解も含めて興味深く読んだ。
跡から分析してコメントするために忘れないようにここに貼っておく。
こういう記事こういう記事もあった。フランスの報道を紹介しているように見えて実はフランス・メディアの「語り方」が分かっていない。
ひとつ言えるのは、昔からよくフランスとは「パリとそれ以外」と言われるのだけれど、今回の五輪はパリジャンによるパリの五輪に地方のファンが集まった、というフランスらしい展開だということだ。
ラ・マルセイエーズを大声で歌いだすとか、観客がパリジャンだけだとしたらあり得ない。
こういう舞台の演出となると、「インテリ・左翼・無神論」の面目躍如という輩による自虐や偽悪や挑発が全開になるのだなあと思った。
フランス文化のエレガンスや繊細さと、革命以降に流行する韜晦の趣味、ブルデューのハビトゥスと脱構築の関係、宗教と宗教革命、ギリシャ・ローマ文化とユダヤ・キリスト教文化、プロテスタントとフリーメイスンなど、いろいろな構成要素が、こういう機会にこういう形で現れるのを分析するのは楽しい。
まとまったらぜひ読んでもらいたいと思っている。
(だから、ブログでのこのテーマは一応ここで打ち切るつもり)