(前の記事の続きです)
「聖痕」は、もはやカトリック教会からの公認を必要とする事項ではないけれど、少なくとも、それが「偽物」でないことは聖痕者のその他の「聖性」や「英雄性」を示すための最低条件であるのは当然だ。
まず、医学的な基準がある。医学的な自然現象として説明できるかどうかということだ。
物資質的には、聖痕の傷は説明不可能な性質がある。化膿することが絶対になく、傷口がひとりでにふさがる。
聖痕が現れる周期はいろいろある。
毎週金曜日(イエスの磔刑は金曜日だった)、
年に一度、復活祭の聖金曜日、または、聖週間の間中、などで、24時間後や48時間後に消失することもあるし、パードレ・ピオのように死ぬまでずっと血を流し続けるケースもある。
両手両足右脇腹五ヶ所すべてに現れることもあり、一部の場合もある。同一人物でも時期によって変わることもある。
19世紀以来、心理学や精神分析学からのアプローチもなされてきた。
ヒステリーや自己暗示による現象だとするものだ。
実際、自己暗示が傷を誘発する例は確認されたが、それは「聖痕」との関連がないものだった。
「聖痕者」は「聖痕」を自ら望んだわけではなく、むしろ傷を隠す傾向がある。
「聖痕」の正当性を決める基準にも、それを「顕示」しないこと、教会や修道会の上司、司祭、司教の指示に従うことなどが含まれている。
(続く)