(前の記事の続きです)
聖痕と聖性の関係は?
聖痕がアッシジのフランチェスコ以来ずっと続いてきた現象であっても、カトリック教会はそれを超常的神秘現象とは言わない。特に、聖痕者の聖性を担保するものとはみなされない。
ドロリズムに陥ることのリスクも懸念されている。
ドロリズム(苦痛主義)とは宗教的なマゾヒズムで、自由意志で苦痛を求めるのが進行だという考え方だ。
実際、聖痕者の多くはむしろ生き生きとして明るい場合がほとんどであるという。苦しんでいることを見せるのは宗教的な偽善につながるということで、キリスト者は痛みを隠すことが「正統性」を担保する。
聖痕はスピリチュアルな体験の結果であり、痛みへの病的嗜好とは別物であるという。
信仰や神学の立場からは、聖痕現象は霊的体験のひとつであり、痛みへの嗜好に導かれた自傷行為とは完全に隔たっている。
(続く)