アベ・ピエールをめぐるスキャンダルが話題になってから久しい。
最近また深化して、こういう事態になっている。日本語を見つけたので貼っておく。
1954 年冬におけるアベ・ピエールの社会活動を描いたランベール・ウィルソン主演の映画はフランス人なら一度は観ている人気作で、アベ・ピエールはフランス人の好きなフランス人の人気投票では生前ずっと不動の一位だった。
日本でもエマウスの活動は知られていると思う。
そのアベ・ピエールのスキャンダルが今になって続々現れるのは、カトリック教会のペドフィルス・キャンダル(セクハラ、パワハラも含めて)に懲りたフランスのカトリックが第三者を介して徹底的に調査したからだ。あの清貧な正義の人が、という意外性と「裏切られた感」が蔓延している。
ある意味で、「権力を持つ地位に長らく君臨した男」の経歴をつぶさに見ると必ずといっていいほど糾弾されるリスクの大きい問題だ。
アベ・ピエールが主導してきた人道的な活動の価値は変わらない。彼のカリスマ性がそれに大きく寄与してきた。
そんなエネルギーは、性的なものにも現れていたのだろうか。
何だか気の毒になる。
たとえば、どんなに精査されたところで、マザーテレサがセクハラをしていた、などという事実は絶対に出てこないだろう。
アベ・ピエールと共にフランス人から愛され尊敬されていた宗教者にシスター・エマニュエル(ベルギー生まれ、カイロで人道活動をした)がいるが、彼女にもパワハラ・セクハラの過去など考えられない。
多くの男性宗教者は人生のすべてを信仰活動に捧げてきたし、男としてのエネルギーのすべてを人々の救済に注いできただろう。
それでも、「誘惑」や「出来心」に負けた人たちもいるのだろう。
「聖人」と呼ばれる人だって、いつも「悪魔と戦ってきた」と言われている。
女性にはそのリスクが少ないし、戦いの性質も異なるだろう。
まったく次元が異なるけれど、日本でも長い間自分の王国を築いてきた芸能界のビッグネームによるスキャンダルが死後に暴かれて、事務所のネーミングも変えるという事件があった。
性的指向が何であれ、男性が「権力」を持って性的なエネルギーに振り回されるのを見聞きすると、怒りより憐れみがわいてくる。
例外はいくらでもあるだろうけれど...。
フランスのカトリックの知人の中にはアベ・ピエールのスキャンダルを絶対に認めない、これは反カトリック陣営からの陰謀だ、と言っている人がいる。
その人たちもなんだか気の毒だ。
それにしてもアベ・ピエールのようなカリスマ的地位にいた人なら、リスクだって理解できたと思うのに、相当な逸脱をしていたということは、やはり「病気」だったのだろう。でも、彼を崇敬している人たちにとっては「病気」すら認めることができないのかもしれない。