9/14、オリンピックとパラリンピックを記念してシャンゼリゼを大規模なパレードの後で凱旋門に舞台を作った祭典があった。
70万人の無料席が3日前に発売されて一時間で完売したという。
選手たちはもちろんボランティア、チーム、コーチ、開会式や閉会式に出演したミュージシャンやダンサーやスタッフ、アソシエーションの関係者など全部で1万人近くが行進したという。肌寒かったが天気はよかった。
「Paris 2024」はパラリンピックの閉会式で終わったものだと思っていた。
実際は、この日のお祭りも含めてすべての「演出」が用意されていた。マスコットだけではなく、開会式に聖火を持って登場した怪人やジャンヌ・ダルク風のキャラクターも登場し、すっかりなじみになった棒(上に赤いビロードが巻かれている)で三度床を叩くスタートの合図を披露した。セキュリティも含めてこの日が無事に「成功」したことで、オリパラの「遺産」が歴史に刻まれることになる。
(三度の合図は「モリエールの国」と自称するフランスで芝居の始まりを告げる伝統から来たものだ。三度は「三位一体」も表わしていると言い、演劇人を祝福するとともに、一度きりの出会いをリスペクトするものだった。)
この日を来年から「スポーツの日」という祝日にするらしい。
そのためにも9/14という日付はうまく考えられている。
フランス語では日付を月よりも先に言うので、革命記念日の7/14は quatorze juillet
と呼ばれる。新しい祝日も同じquatorzeから始まるから語呂がいい。
政治的なクライシスの時期にオリパラで国民の心を奪うという戦略が成功して、新学年が始まった時期にまたその名残を蒸し返すのは、すべて「蜃気楼」だ、という意見も当然ある。
でも、大したものだと思ったのは、他の国なら、オリンピックが終った時点でパラリンピックへの関心はずっと低くなるものだが、今回のパリのオリパラは、双方を基本的に同等に扱って、メディアを駆使して盛り上げに一応成功した。
9/14の時点では、日本ではオリンピックの話題はもうほとんどなく、スポーツでも、甲子園、大相撲から、メジャーリーグの大谷選手の話題ばかりだった。東京オリンピックの時でさえ、コロナ禍は別としても、開会式の前にもスキャンダル、閉会した後も汚職などのスキャンダルがあった。
9/14の祭典では、新内閣がまだ発足していない政治的カオスの状況だったが、前面に出た大統領のマクロン、パリ市長のイダルゴは社会党、イール・ド・フランス(パリ近郊を含む県に当たる)の知事ぺクレスは共和党、と、何となく保守革新のバランスが取れているように見えたのもご愛敬だ。
金メダルを得た7人制ラグビーチームがステージで並んで「リズム」ステップを披露したのも楽しそうに見えた。
革命のフリジア帽を模したマスコットのフリージュも、洗練に欠けているなあと思っていたけれど、元が帽子だから、帽子タイプのものを被っている人もたくさんいて、関連商品も大売れだったそうで、結果的にうまくいったし、義足付きのマスコットも、結果的に、オリパラをひとつに見せることになった。
パラリンピックは特に、障碍を持っている人々を「見える」化したことで社会に「包括」するインクルージョンに貢献した、となっている。
これも実際は難しい問題だ。
パラ選手でも、「生まれつき」の障碍か、途中での事故や病気による障碍かでは全く変わってくる。それは、「障碍者を笑えるか」という問題にもつながってくる。
フランスの新聞雑誌などにはたいていユーモラスな「ひとこま」マンガがついている。カリカチュアも豊富だ。「シャルリー・エブド」テロで有名になったように、「宗教」や「宗教者」をからかうカリカチュアも少なくない。
「冒瀆」というより、どうみても下品でしかないものもある。
メディアに登場するような人はほとんどカリカチュアの対象になるけれど、「障碍」や「障碍者」をからかうものはほとんどない。
長い間「見える」化されなかったのだから当然だともいえる。
1992年にパトリック・ティムシットというユモリストが「モンゴリアン(ダウン症の人、蒙古症ともよばれていた)は海老と同じだ。すべて(美味で)問題ない、頭以外はね」というセリフを舞台に入れたことで告訴された。
全体として、ユモリストやカリカチュア作家自身も、基本的に障碍者をテーマにしない。「ある人を嘲笑したら、その人の属するコミュニティが反発してくる。けれどもある障碍者を笑っても、反発するコミュニティがない」、つまり「挑発する」意味が失われるからだ、という。
(続く)