パリ五輪とパラリンピックは、委員会も異なるけれど、パリでは、9/14のセレモニーも含めて、「一体化」して「パリ=フランス」万歳、の「絵」を描くために徹底して演出されていた。
コロナ禍で延期されただけでなく委員会や演出関係者にもスキャンダルが続き、開会反対の声も多かった東京五輪は別としても、パリ五輪の政治的求心力は、すごいと思った。ウクライナ戦争のせいでロシアがボイコットされたのは別として、近代五輪のルーツがクーベルタンとフランスのカトリック教会と植民地の繁栄?にあったことをしっかりと意識し、強みにした演出だった。ロンドン五輪に比べての差異化は成功していた。
パリの「首都アイデンティティ」は強みだ。
ロンドンにも「首都アイデンティティ」があるが、国教会なのでクーベルタン・ルーツはうまく使えない。
中国は巨大すぎて、いろいろな問題をかかえているし、リオはブラジルの首都ではない。次のオリンピックはロスアンゼルスだが、アメリカはもともと合衆国で、州ごとに自治があるし、ロスは一都市でアメリカ全体のシンボルではない。アメリカ全体のシンボルというと、やはり最初にヨーロッパ人が上陸した西海岸だろうし、自由の女神のあるNYだろうが、NYは首都ではない。
フランスは絶対王権の時に国王がカトリックの首長の役割をした(司教任命権を持つガリア教会)ことで権威を独占した。今のパリは21世紀のベルサイユだ。
もともとフランスには自然の国境がない。地続きである周囲の国との間に何度も国土争いがあった。
民族的にも国がまとまる頃にはすでに、ラテン民族とケルト民族とゲルマン民族とが混血していた。
それでも、アイデンティティをつくるには、南の「ローマ・カトリック」勢力と北の「ゲルマン」勢力との差異化を常に図って独自の文化を作ってきた。
イタリアもドイツも19世紀まで領邦国家だったから、中央集権度は低い。
で、主催都市のパリ市長が社会党のイダルゴで郊外を含むパリ圏の知事が保守共和党であるのに、大統領のマクロンが「王様」ぶりを見せて、「おフランス」を担保し、普段ではあり得ないようなセキュリティ対策も成功させて、「多様性」「包括性」をアピールした、というわけだ。
それが、結果的に、フランスがもともと志向していた「人種や民族を問わない文化の共有を通したユニヴァーサリズム」と乖離していったのは、この国に半世紀近く住んでユニヴァーサリズムの恩恵を受けている身としては残念だ。