まず、10/22(火)の18h45-19h15にカトリック浜松教会でのコンサートのお知らせ。
ニテティスブログに載せています。
さて、これを書いている9/23、フランスでは、バルニエが首相に任命されてから2週間近くたってようやく新内閣が発足した。
マクロンの側近が入っていること、共和党がけっこうな数を占めて「復活」している感じが、左派(社会党の法務大臣のみ)の批判をかっている。
右からも左からも、マクロン派からさえ攻撃され、すぐに不信任に持っていくと言っている。
形容の次元が違い過ぎるけれど、なんだか、昔の小学生のホームルームで「何々班の何々君が悪いと思います!」なんて叫んでいる光景を思い出す。
2ヶ月以上も暫定内閣で、オリパラの蜃気楼も消えて、そろそろまともに予算、物価高、セキュリティ、医療、教育の課題に取り組まなくてはならない。ここはひとまず、「公共善」を図るために妥協点を見つけなくてはならないので、ベテランの風格あるバルニエのキャラでなんとか政府の形が整ってほっとする、まずは様子を見て、という感じになるかと思った。それなのに、右も左ももうバルニエを失墜させる気満々だ。
何だかなあ、と思う。
73歳のバルニエはもう大統領選にも出ないし、すでに充分キャリアを積んだ人で、家庭も円満なのだから、こんな国でこんな時期にこんなポストにつくなんて、個人的なメリットは何もない。むしろ大きなリスクを抱えてデメリットばかりだ。
だからむしろ、ここは自分を犠牲にして何とかフランスの現状を「ととのえたい」と本気で思っている気がする。
多くの政治家は、地位や金、名声、権力への欲望、承認欲求などで動いているかのように見える。
それを思うと、アメリカ大統領選のトランプも不思議だ。
金も権力も、家族も名声もあり、権力や承認欲求も、アメリカ大統領をすでに経験したのだから、完全に満たされたはずだ。なんで今さら、80歳近くになって、暗殺されるリスクをおかしてまで、また大統領再選にこだわるのだろうか。
まあいろいろな案件で有罪判決が出ている身だから、それを避けるためもあるかもしれないけれど、金さえあれば実刑になどならない手はいくらでもある気がする。
ひょっとして、ほんとうに自分は国の救世主で国のために尽くしていると思っているのだろうか。それとも、権力や名声欲はドラッグのようで終わりがないのだろうか。いや、何よりも「闘争欲」を糧にして生きているのかも。
地位、金、権力にも興味がなくて闘争は大嫌い、承認欲求も感じたことのない身としては想像もつかないが、政治家なら、人々が和解し合え、強調し合える社会をぜひ実現させてほしい。