10月初め、夕方のメトロに乗っていた時、隣の席の男性が熱心に本を読んでいた。4人席で向かいの2人や反対側の4人席の全員や立っている人たちもみなスマホを眺めている。
たまに本を読んでいる人を見かけるけれどほとんど年配の女性でペーパーバックの小説、SF、推理小説などが多い。
隣の男性はまだ若く、しかも右手に蛍光ペンを持って読んでいる。
そしてある場所に線を弾き始めた。
なんとなく興味を持って覗いたら、表紙にEckhartとあったので驚いた。
エックハルトと言えば私にとってはマイスター・エックハルトだったからだ。
メトロの隣の席の人が熱心にエックハルトを読んでいる。
哲学か神学の学生だろうか。
声をかけたくなったくらいだ。
で、彼がマーカーを引いた部分をちらりと見た。彼は没頭しているので私の視線を気にしない。字がけっこう大きくて読めた。(その時点で、エックハルトの神学書にしては変だなあと思ったけれど。)
「すべての依存は自分自身の苦しみを直視してそれを生きることを無意識に拒否することから生まれる」(Toute dépendance naît d'un refus inconscient à faire face à votre propre souffrance et à la vivre.)
何だか違和感があるなあ、と思って見ていたら次にタイトルがちらりと見えた。
≪Le pouvoir du moment présent≫「今現在の力」とある。エックハルトにそんな本があったっけ。
帰宅してから検索すると、エックハルト・トールというカナダ在住のドイツ人著者で、この本は「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(The Power of Now)という大ベストセラーなのだそうだ。
悩み多き人だったのが、ある日突然「自己」が消えて自由の境地になったそうで、マイスター・エックハルトと似ていないでもない。「自我」が消えて神と一体化するとリミットはなくなる。
隣の人が読んでいたフランス語はpdf版ですべて読めるので、「依存」云々の場所を検索したら、アルコールやドラッグなどの依存症のことを書いた部分だと分かった。
だとしたら、メトロで私の隣の席でその部分をマークしていた男性は、何かの依存症から抜け出す方途を求めていたのだろうか。
いや、紙の本をこのように読む時点で、まさに「スマホ依存」から脱しようという最中なのかもしれない。
声をかけなくてよかった。
私はと言えば、バロックバレーの振り付け譜をずっと見ていた。
もし、それがバロックの振り付け譜だと知っている人が私の隣に座ったら、きっと声をかけてくるだろう。私の隣の人が振り付け譜を見ていたら、私も声をかけると思う。
スマホでは考えられない「縁」はもう過去のものかもしれない。
(メトロの中で声をかけられてから友達になった例は人生で一度だけ、東京で、立ちながらペルシャ語のテキストを読んでいたら、突然声をかけられた。
東大の都市工学の大学院に在籍していたアフガニスタン人のタミール君だった。
東京のメトロで立ってペルシャ語を読んでいる女子学生が目の前にいたのだからさぞ驚いただろう。そのまま私についてきて、黒柳先生のペルシャ語の授業に来て黒柳先生とペルシャ語で話し始めた。アフガニスタンの惨状を見る度に彼のことを思い出す。だから前にも何度も触れていたようだ。懐かしいのでリンク)