飛行時間が14時間と長かったので、最後にシリアスそうな邦画を観ることにした。近頃たまに観る、時系列がばらばらに挿入されて複雑な映画。
解説にこうあった。
「疎遠な関係であった父親が急な認知症を患い、残された手がかりをもとに主人公が迷路を彷徨い何かを見つけようとする旅路である。そこには彼の怒りがあるわけでもなく、父の変貌を嘆く悲しみがあるわけでもない。」そんな主人公をカメラが追う、「ある種のロードムービー」だというのは適格だ。でも時系列がばらばらだから、夢の旅路のようだ。
主人公の親子が藤竜也と森山未來。83歳と40歳。後妻の直美を演じる原日出子は64 歳。でも、設定では父と後妻は72歳という設定。
元大学教授で72歳で認知症。ずっと年寄りにみえる。後妻の方は、今の70代の女性ならこれくらい若く見えるだろうから違和感がないけれど、夫婦の年の差を感じさせる。
父と子は似ていない。森山未來という人は、役者という設定でイオネスコの芝居を演じているシーンもあるから大学教授だった父のような「堅気の人」には見えない。
認知症にも、その人の生き方や環境、性格、周りの人の反応などによってさまざまな形があるけれど、人生の悲哀を感じさせる病気だなあとつくづく思う。
藤竜也は形の定まらない認知症の現実を巧みに演じていて、どこか醒めている息子との対照がおもしろい。父親、過去に自分と母を捨てた男、後妻に愛されていた男、そして自分を失いかけた男、老いて弱りそれでも生きようとしている男、に対して、違和感や反発や責任感や憐れみやらをかんじながら「情」も抱く息子の淡々とした演技も悪くない。施設のエレベーターの前で自分のベルトを外して父親に渡すシーンが何気なくあたたかい。
藤竜也といえば大島渚の「愛のコリーダ」に出ているのを、1976年に東大の男子学生一人と女子学生二人とでパリの映画館に観に行ったことを思い出す。その時にいっしょだった宗教学科のKさんは、後に彼女の先輩のNくんと結婚した。
そういえば、今回の日本は忙しくてテレビを視る暇もなかったのだけれど、フランスに戻る前日11/2の夜、NHKのグレートネイチャーSPという番組で「世界の川の不思議」というのを偶然視聴していたら、Nくんが解説に登場した。肩書が宗教学者でなくでも民俗学者でもなくて、人類学者とあった。彼の愛読していたレヴィ・ストロースの路線に落ち着いたのだなあ、と思った。川は氾濫などして災いのもとにもなるけれど、土地を潤す恵みにもなり、その二元性のゆらぎを超えたところで「美の地平」みたいなものが求められるというニュアンスで話していた。「美」はこの世の地平には現れない。
同じ番組で、チベット仏教誕生以前からの聖地であり、四大大河の源ともされるカイラス山について紹介されていた。6000メートル級のユニークな姿の山で、親しかったチベットの高僧のことやNくんのネパール時代のことなど思い出して感慨深かった。