文化マルクス主義としてのウォーキズム?アメリカの大統領選の結果を踏まえて、陰謀論のひとつとして知られる文化マルクス主義とウォーキズムの関係がどのように結びつけられているかを調べているうちに、NTDフランスのインタビューにエヴリーヌ・ジョスランが答えているのを見つけた。 (自分用の参考とはいえこの記事の終わりにこのインタビューを貼っておくのは気がひけないでもないのだけれど、エヴリーヌ・ジョスランに中国人女性ジャーナリストがインタビューするという興味深い構図をチェックしておきたいので、フランス語OKな人で好奇心があればどうぞ。) ジョスランが言うのは、ウォーキズムはグローバリズムによってアングロ・サクソンから広まったといわれているけれど、元はヨーロッパから来ているということだ。 イタリア共産党のグラムシから広まった文化マルクス主義が、ドイツからアメリカに渡ったユダヤ系のフランクフルト学派たちの広めたネオ・マルクス主義。 政治と経済のマルクス主義から文化脱構築のマルクス主義というわけだ。 イタリアやドイツだけでなく1970年前後のフレンチ・セオリーというのがあって、ポスト・モダンの「脱構築」というのがアメリカでトレンドになった。 フランスの知識人はみな、毛沢東やホーチミンに傾倒し、すでに「脱西洋」を掲げる自分たちの知的優越を信じていた。 21世紀のずっと前に、「脱西洋」はエリートのトレンドだったわけだ。そこに「他の西洋人」を見下す微妙な優越感があった。 なるほどと思わないでもない。 アングロサクソン系フェミニズムもアメリカの黒人差別反対運動にも、「犠牲者主義」がついて回る。犠牲者を特定すると加害者が特定されるわけで、加害者を「倒す」ことが絶対正義だとなる。そしてそういう姿勢は実はネオ・マチズモにつながる。 アメリカン・コミックのスーパーマンやら、勧善懲悪の物語に見られる分かりやすいマチズモが、ウォーキズムのルーツにあるとは考えたことがなかった。 本来のキリスト教的な「弱者」救済は、相対的弱者であり、「犠牲者」認定と関係がない。すべての赤ん坊や幼児は弱者であり保護を必要とするが「犠牲者」ではないのと同じだ。マイノリティがすべて「犠牲者」であるとも限らない。 アメリカの場合は、民主党が知的優越ウォーキズムで犠牲者を救う「正義の味方」マチズモだとしたら、共和党は物価高などで苦しむ分かりやすい犠牲者をトランプの分かりやすいマチズモで救う、という二極に分かれた。もちろん、そのどちらにも「利権」がからむ。 ウォーキズムはカナダのトルドー首相なども旗印にしている。いくらヨーロッパから来たネオ・マルクス主義だと言われても、それがアメリカやカナダのような移民国家で展開される場合はヨーロッパとは変わってくる。 ヨーロッパの「保守」が守ろうとする「伝統」は歴史的に一貫していない。フランス革命後の共和主義といっても、その前の絶対王政や啓蒙主義の時代なしには成立しなかった。内戦や宗教戦争や王侯貴族間の複雑な姻戚関係もある。 そのような「過去」「歴史」のルーツを踏まえながら新しい道を探るのが「保守」政治であるはずだった。 その指針となるのが、すべての人を尊厳において平等で自由な存在と認めるフランスのユニヴァーサリズムであるはずだ。加害者と被害者を分断しない。 大国の「基準」をグローバルなものとして押し付ける帝国主義型の普遍主義にすり替えられてはいけない。 「先進国」だろうがどんな政治体制の国であろうが、世界中で貧富の格差が広がっている。「覇権」争いだけを視野に入れているような政治家たちをあれこれ批判するだけでは、本当の犠牲者も本当の弱者も決して見えてこないだろう。
by mariastella
| 2024-11-16 00:05
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