10/26は由比ガ浜教会でのコンサート。
新宿湘南ラインで直通で行けるのだけれど指定席がない。
タクシーで新宿に行き、宇都宮から来る電車に乗ったが、結局次の渋谷で降りる人が多く、座ることが出来た。観光客のグループが何人かいた。
由比ガ浜教会はもっと遠いのかと思っていたら鎌倉駅からタクシーですぐだった。
海は遠くないはずだけれど街中で、畑の真ん中の浜松教会とは対照的な雰囲気だ。
でも、浜松のことがあるから念のため防虫スプレーを用意してもらう。
この教会も、音響が抜群によかった。
司祭さんが私の読者ということで、会えたのを喜んでもらえたので、演奏は最後でも、また別の機会にお役にたてることがあれば伺います、と言った。
楽器と譜面立てとギターを支える器具さえなければ、どこへでも行ける。
これが、日本での最後のコンサートなので感慨深い。
相模原に住んでいる兄の家族も車で来てくれた。
東京のコンサートに来れなかった人もこちらに来てくれたし、東京のコンサートに遅れて来たので終わりの方しか聴けなかったという方が鎌倉にも来てくださったというのも嬉しい。
いろいろ感想もいただいたけれど、フランス語に訳して仲間と味わったものにこういうものがある。
>>>由比ガ浜教会の聖堂の響きもとても素敵で最後の余韻が消えてゆく瞬間がたまらなく愛おしくて、でも聞いているうちにバロックがどうだとかそんな音楽ジャンルの概念を飛び越えて、なんだか音の粒が体に沁みわたっていくような感覚に捕らわれたのです。
そして沁みわたっていく音の粒が体の中の細胞と化学変化(かな?)して、一つに溶け合って新しいエネルギーになっていくような・・・。
感動した、といってしまえばそれだけなのですが、今回はその感動の過程を味わうことができたような、深い気づきでした。<<<
鎌倉日仏協会の主催ということで、演奏後に「質疑応答」の時間が設けられたのは意外だったけれど、それが興味深かったと言ってくれた人もいた。
フランス語で質問する人もいたので、仲間にもフランス語で答えさせたけれど、全部を訳したわけではない。
私たちの関係を、ふたりが私の生徒だったのかと聞く人がいて、なるほど、そう見えることもあり得るのかと思った。
私たちは10歳以上、20歳以上年齢が離れていて、Hなどは彼が15歳の頃からロートレックのクラスのアンサンブルで隣り合ったし、Mとはやはりロートレックのアンサンブルでスペイン公演に行った1992年に知り合った。二人ともロートレックの元生徒だ。私はロートレックの生徒ではなく、彼と共にアンサンブルを立ち上げたメンバーだ。
ロートレックともいろいろな場所で弾いたけれども、彼の選ぶレパートリーや感性は、HとMの感性とは別物で、私は若い2人に惹かれていた。特にHの才能や音楽家としての能力に感心し、エンタテインメントを提供しようとする大人たちのアンサンブルよりも、フランス・バロックのすばらしさを教えてくれたHたちの仲間に入れてもらおうと早くから決めていたのだ。それからざっと30年になる。
曲の解釈をその都度深めていくので飽きるということがない。
午後はじめのコンサートだったので、質疑応答も終わり、その後での交流が終っても、今回は余裕で陽のあるうちにホテルに着けた。
鎌倉はいろいろな意味で浜松とは別の雰囲気で、東京と「地続き」感があり、東京からのリゾート感がある。今、フランスの観光客からは「鎌倉」は一番のトレンドなんだそうだ。
コンサート後、二人ともリラックスできて、解放感と開放感が広がった。