今年も無事に静かなクリスマスを迎えることが出来ました。
中東のキリスト教徒のことを思うと胸が痛みますが、キリスト教徒が迫害されてきた歴史の長さを思い、それでも「キリスト教」というものが綿々と続いてきたこと自体に感慨を覚えます。
無心な赤ちゃんを見ると、誰でも自然とほほ笑みたくなります。その赤ちゃんがほほ笑み返してくれたりすると、幸せになります。
十字架のイエスを見るとつらいですが、赤ん坊のイエスの姿を広めたアッシジのフランチェスコのおかげで、とりあえず幸せなスタートが伝わります。
誰が言ったか忘れましたが、企業などで使われる「プランB」(それまで続けてきた計画が頓挫した時に発動される次善の策、代替プラン)という言葉を使ったジョークがありました。
神は、創造した人間たちが次々と罪を犯すのを見て何とか救おうと、あらゆる手を尽くしたのに、人間は罪にとらわれたままだった。そこでプランBとして、自分自身が「受肉」して子なる神として降臨することにした。普通のプランBは「次善」であり、プランAよりは見劣りするけれど、神のプランBはすごい。プランAを根本から変えた。
というものです。(人生での頓挫の後も、ひょっとして画期的なプランBが可能かも。)
特に「受肉」を徹底して「赤ん坊」の形で送ったことは確かに画期的(アダムとイヴは最初から成人だった)で、たとえその後の「受難」という厳しい展開があるにしろ、とりあえずスタート時点でみなが「やさしいこころ」になって癒されるのはそれだけで少し救われるかも。
このところ、クリスマスツリーはピンク、ブルー、金と赤というローテーションだったのですが、今年は「緑」に変更しました。(後ろの窓に見える背の高い木は、今のうちに来てはじめてのクリスマスツリーが成長したものです。)
LEDの飾りはここのところずっと同じもの。フランスでは一般に家庭でのクリスマス・ツリーは普通1/6までと言われますが、うちは町のデコレーションと同じく1月末頃まで置いておくので片付けはまだ先でほっとします。
田舎のうちがあったフランドルの村ではイエス誕生40日後の神殿奉献の日である2/2のLa chandeleur までツリーがOKというのが普通でした。1/6の公現祭にガレットを食べて、2/2にクレープを食べて、と、冬の民俗行事とカトリックとグルマンディーズが全部習合しているのが、今も続いていて、しかも、商業化による「消費行動」に集約されています。
でも、クレープの日が終るとはっきりと日照時間が長くなるのが実感できるので、うまくできていると思います。
少し前までは、そして今でもフランスの「地方」では、ツリーよりも、またツリーと同じくらい、日本で「馬小屋」と呼ばれる、生まれたばかりで飼い葉桶に寝かされた赤ん坊を見つめるヨセフやマリーや動物を配したセットが大切なデコレーションでした。アッシジのフランチェスコに端を発したと言われ、昔は実物大の馬小屋がどの教会にもありましたが、フランスでは、特に革命以来すべて消滅したので、ミニチュアの馬小屋が家庭に入るようになりました。有名な南仏プロヴァンスのサントンは、馬小屋だけでなく、ベツレヘム全体を再現しようとするかのように拡大していきました。
クリスマス・シーズンに13万トンのチョコレートが消費されるとかいう今のフランスで、どこかの戦地や被災地で生きようとする赤ん坊や子供たちを思う時、旅先の馬小屋で母と養父に見守られて眠る幼子の姿は何を伝えてくれるのでしょうか。
イヴのミサがあった教会。
始まる前に写したので「馬小屋」にはまだ赤ん坊が入っていません。