ユダヤ=キリスト教文化と産業革命の関係?
人間の歴史において、ヨーロッパを中心にいわゆる産業革命が起こって、それ以来、人の暮らしにおける機械の「進歩」は止まることなく、増大し続けてやがて環境汚染や人類絶滅のリスクさえ語られるようになった。
それについて、私が前に了解していた定説は、大きな「発見」や「発明」はアジアにもあったが、それが用をなさなくなると途絶えた、しかし、キリスト教文化圏では「成長」し続けた、というものだった。キリスト教は世界のはじめがあって終わりがある世界観だが、アジアの時間は季節の移ろいのように循環型だからだ、などと言われていた。 時計をはじめ多くのものは先に中国で発明されていたがやがて使われなくなったので、「近代」以降に西洋との差が開きすぎたのだ、とか、日本で16世紀に種子島の鉄砲伝来の後、どんどん改良が進んだのに、ひとたび戦国時代が終わると昔ながらの刀の文化に戻って、鉄砲の技術は失われた、だから19世紀に大砲を乗せた「黒船」が来た時に抵抗できなかったのだ、とかいう言説だ。
けれども四季のあるような場所で人間の考える環境イメージはどこでも同じで、ヨーロッパのキリスト教文化圏でもしっかりと、季節に合わせた「循環型」の行事や典礼が存在している。また、自然が繰り返して循環しても、一人一人は生まれて死んでいくのは共通しているのだから、キリスト教に終末思想があるように、アジアにも末法思想があった。 では、確かに、キリスト教文化圏で「道具」や「機械」の劇的な発展があったのは、なぜなのかということについて、興味深い説を聞いた。 それは、社会のベースから奴隷労働がなくなったからだという。 こういうと、「神の国」アメリカで黒人奴隷を虐待していたではないか、などと思われそうだけれど、キリスト教の源泉にあるユダヤ教の神は本来「奴隷」を認めない。 「主」は神だけだ。 モーセは、エジプトで奴隷労働についていたユダヤ人たちを引き連れて脱出した。ユダヤ人は紀元前14~13世紀頃にわたって奴隷状態にあったとされる。その後も、紀元前6世紀に「バビロン捕囚」という強制移住の憂き目を見た。 「出エジプト」の伝承が「史実」であるかどうかは別として、この「奴隷」の記憶と「捕囚」の記憶がユダヤ教の根本にあるのは確かだろう。だから、本来、ユダヤ人は、「奴隷制」にも「移民労働」にも反対の立場なのだという。 ( とは言っても、モーセに与えられた律法では、奴隷労働は6年まで、7年目に給金なしでの解放とされ、ユダヤ人にだけ適用されていた) その流れにあるキリスト教も同様で、奴隷労働が存在していたギリシャ=ローマ文化とは一線を画していた。もちろんキリスト教がローマ帝国の国教になったり、政治権力と結びついたりした後では別だし、奴隷制を廃止するまでの道のりは長かった。 けれども「奴隷労働」の否定は、ヨーロッパの修道院文化の中で強固に残っていた。修道士たちは、さまざまな典礼やら黙想やらの他に、修道院の雑事や経営のための各種の労働を容易にするためにさまざまな工夫をするようになった。つまり、優れた道具や「機械」を使うことによって「手間」を省くという流れが生まれた。 「奴隷労働」の存在するところでは、奴隷を使い捨てできるから、道具や機械による効率化という概念が発達することがない。 それがキリスト教文化圏で「機械」が発明され導入された理由のひとつである、という説だ。
なるほど。
確かに、カテドラルなどの建設も奴隷ではなく「職人」たちによるものだった。それを言えば、ギリシャのパルテノンなど宗教建築も奴隷によるのではなくて「市民」が携わったと習ったことがある。日本の場合も、例えば領主によって「徴用」された領民が労働力になったなら、いわゆる「奴隷」はいなかったかもしれないけれど、実質的に「人買い」「身売り」された労働力はあっただろう。 日本の僧院などでの労働はどうだろう。より合理的にという発想ではなく、身を粉にして、額に汗をかいて仕えるのが修行のうち、というイメージがある。みなが平等で「余暇」を創るために道具を工夫するという発想はなかったかもしれない。
家庭に「女中さん」や「家政婦さん」や「専業主婦」がいて家事を受け持っているうちは、重労働を軽減する発想はなかった。「共働き」がデフォルトになると、家庭でもいろいろな機械化が進んで、掃除機までロボット化していった。 「余暇」は増えているはずだし、ネットやAIの進化で驚くべき効率化がさらに進んでいるのかもしれない。でもその「余暇」がさまざまなアディクションに食い荒らされているのも事実だろう。 いろいろ考えさせられたのでメモ。
by mariastella
| 2024-12-30 00:05
| 宗教
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