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L'art de croire             竹下節子ブログ

パウロの「キリスト教的転覆」とは

ジャン=マリー・プルー著「パウロ、またはキリスト教的転覆」。

ユダヤ教から別れた「宗教」としてのキリスト教は、パウロから生まれた、というのはよく聞く。パウロがキリスト者迫害からダマスへの道でイエスに出会って「回心」したというのは、三日間目が見えなくなった後で「目からウロコ」が落ちたことという表現が日本でも使われるほど有名だ。

でも、パウロは、急に世界中を宣教して回ったわけではない。彼は宗教的には普通のユダヤ人(ファリサイ派)だった。イエスがユダヤ人の待っていたメシアだと確信してからは、そのことをあちこちのシナゴーグで説いて回った。
出身はローマの植民都市タルスだが、ストア哲学が優勢のギリシャ語文化圏だった。
タルスでのギリシャ人への宣教は困難だった。(ギリシャ人といっても、それは「非ユダヤ人」という意味だ。)ギリシャ哲学の中心地であるアテネにも出かけたが、救世主が十字架にかけられて殺されたが復活したという話は、荒唐無稽なものとしてたちまち斥けられた。
そんなパウロに第二の転換点が訪れた。コリントの信徒たちとの交わりだ。

コリントは商業がさかんなローマの植民都市で、パウロらが洗礼を授けたのはユダヤ人だけではなく異教徒もいた。パウロが離れているうちには共同体内部でいろいろな食い違いがあったらしく、何度か手紙を書いて指針を明らかにしている。

パウロの二度目の転換点はこの共同体とのかかわりで生まれた。

それは、共同体内に生まれる権力勾配などを避け、キリスト教を徹底的に「下から」の教えにしたことだ。(だからこの本のタイトルは「革命」でなく「転覆」とある。)


ユダヤ教も含めて、古代から多くの宗教の「神」(神々)は人間を罰することが出来ると見なされていた。人間が神の怒りをかうと、天災や飢饉に襲われる。そこで神の怒りを鎮めるために、動物やら人間を犠牲として捧げるという風習が広くあった。

ある種のトレードが成立していた。

ところがイエスを「神の子」とするキリスト教では、「父なる神」はもう怒ることができず、愛することしかできない。それで、人からの犠牲の供物を待つどころか、「子なる神」を受肉させて、人間の罪を贖う犠牲にした。

犠牲を要求したり受け取ったりする立場だったはずの神が、「一人子」を捧げるという逆転が起こったのだ。だから、犠牲を選んで祀るような祭司が「権力」を持つことはもうない。人々に仕えれば仕えるほど神に近くなるわけだ。


で、パウロは十字架のキリストを強調し、コリント人にこういう。


コリントの信徒への手紙一(1, 26~28

「きょうだいたち、あなたがたが召されたときのことを考えてみなさい。世の知恵ある者は多くはなく、有力な者や家柄のよい者も多くはいませんでした。ところが、神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。

また、神は世の取るに足りない者や軽んじられている者を選ばれました。すなわち、力ある者を無力な者にするため、無に等しい者を選ばれたのです。」


いやあ、コリントの信徒、徹底的にやられている。


「愚かな者」、「弱い者」、「取るに足らない者」、「軽んじられている者」「無に等しい者」って、さんざんな言われ方…。


でも、鞭打たれ、十字架に釘打たれ、処刑されたイエスを「救世主=メシア=キリスト」とするからには必然の「価値の転覆」で、もちろんイエスも、自分はすべての「弱者」の中にいる、貧しい者ほど救われる、と言っている。


そんなキリスト教が、じわじわと広がったのは、黙っていたら権力者から生贄として葬られるような立場の弱者の方がマジョリティなのだから、不思議ではないかもしれない。

で、その結果、4世紀に公認され、末にはローマ帝国の国教にまでなった。

テオドシウス帝は他の宗教を「禁止」したのだ。権力によって。

テオドシウス帝は、パウロのキリスト教の「外枠」をまた反転させたと言ってもいいだろう。


権力者の「へりくだり」ほど難しいものはない。





by mariastella | 2025-01-07 00:05 | 宗教
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