前にこんな記事を書いた。
https://spinou.exblog.jp/33640415/
それに補足しておきたい。
すべての人が神のに姿として、救いの可能性において平等だというキリスト教が基本的に「奴隷制」と相容れないことは最初から明らかだった。パウロがガラテヤの信徒への手紙の中で主人も奴隷も、男も女も、ユダヤ人も異邦人も、キリストにおいて平等だと言ったこともよく知られている。
けれども、ローマ帝国の国教にまでなった後のカトリック教会は、なかなか、「上からの改革」をしなかった。それはイエスも同じで、一人一人の心に訴えるという方向だった。奴隷制についてなどカトリック教会の基本的立場は当然、「禁止」でしかない。けれども、教会はいつも、その「実現」においては悠長ともいえるほど穏健だ。
それを「口だけ」の偽善と考える人もいるかもしれないけれど、「上からの改革」が「全体主義」的専制に陥りやすく、奴隷制廃止など「正しい」イデオロギーの優先は、人が人を殺す戦争にまで発展しうる。
そのいい例がWASPの建国したアメリカの南北戦争だ。
南北戦争というと、工業化が進んだ北部の「自由州」とプランテーションの続く南部の「奴隷州」が戦って、自由が勝利して奴隷制が廃止された、というイメージだが、合衆国から分離した南部を統合するための戦いには貿易制度など、経済的要因の方が明らかだった。
南軍の英雄リー将軍は奴隷制反対主義で、奴隷を所有していなかったが、北軍のグラント将軍は奴隷制維持派だった。
「自由州」側がなんとか奴隷制廃止を法律化したのは、ぎりぎり過半数で、終戦の僅か二ヶ月前だった。(1962年の9/22の有名な奴隷解放宣言は、当時北部の権威下になかった南部の奴隷のみを対象にしたものだった。)
で、この戦争によるアメリカ人(当時推定3千2百万人)の犠牲者数は100万人近くとも言われていて、実にそれ以後のアメリカが参加したすべての戦争(二度の世界大戦、ベトナム戦争、二度の湾岸戦争、イラク戦争)などの犠牲者を足したものより多かったという。
さらに、リー将軍のように、南部でも奴隷制廃止の機運はすでに存在していたわけだから、もし、戦争をしなくても、おそらく10年後くらいには、戦争なしに奴隷制の廃止は実現していただろうと思われる。時間はかかっても、犠牲者数は圧倒的に少なかっただろう。
「奴隷解放」自体がモラル的に正しくても、戦争の文脈に取り込まれることで、その後の展開は別だった。黒人差別を撤廃する公民権法が成立したのは100年も経った後だし、その後も、人種差別は続き、新自由主義経済によって拡大した貧富の差の中で、より深刻で暴力の連鎖を産んでいる。
それに比べると、カトリック教会にとっては、実質的な対応がどんなに遅くて権力者に迎合してきたとしても、「奴隷制反対」は、モラルの上だけでなく、イデオロギーでもなく、「神学的」な基盤に明確にあるものだ。奴隷制廃止という考え方は西欧カトリック文化圏で生まれた。
これとは別に「農奴制」というのがある。中世のヨーロッパでどのように「奴隷制」が亡くなり、「農奴制」が変わったか、別の機会に紹介していきたい。
参考文献は、最高におもしろいこの本。