アンヌ・ベルネの博識は感動的で、ポンマンのゲラン神父についての大作を読んでいる最中なのだけれど、彼女が聖アンブロジウスについて書いたやはり大部の本が1/16に再刊される。(フランス語ではサン・アンブロワーズ)
キリスト教がローマ帝国の国教になってから変貌したというのは前にも書いたが、テオドシウス帝を「キリスト教の皇帝」とした決定的な人物が聖アンブロジウスだった。
アンブロジウスは雄弁で有名だ。
聖人伝によると、子供の頃に口を開けて寝ていると蜂の大群がやってきて顔を覆った。その後で蜂は飛翔し、人の目には見えなくなった。父親が見てみると、子供の口の中は刺されていず、一滴の蜂密がおかれていた。その奇跡が後の雄弁の秘密らしい。
おもしろいのは、アンブロジウスは、ギリシャ古典に造形深く、キリスト教徒ではなかったことだ。ミラノの執政官で、当時すでにキリスト教が公認されていたミラノの司教の後継者選びが難航していたところ、「アンブロジウスこそ司教だ!」という子供の声がして、群衆がアンブロジウスを選んだ。アンブロジウスは洗礼を受けていなかったので、その後、司教になるために公共要理を学んで洗礼を受けた。当時はまだ、アリウス派とニカイア公会議で後の正教やカトリックのベースになったアタナシウス派が敵対していた時代だ。
ローマはすでに帝国の中心ではなかった。
でもローマの元老院には相変わらず女神像があり、元老院議員も皇帝も礼拝することになっていた。
374年にミラノ司教となったアンブロジウスは、テオドシウス帝に提言して380年代に異教の祭壇を取り払い、ユダヤ人を追放するなどを決定して、390年のキリスト教国教化に至る道を作った。
しかし384年にはローマで食糧危機が起こり、当時のローマ市長官で元老院貴族のシュンマクスが、異教の復活を主張した。
このシュンマクスという人は、アンブロジウスと同様、ギリシャ古典に通じた博識の雄弁家で、この二人が議論を戦わせた文書が有名だ。
シュンマクスは多神教を容認する最後の論客で、キリスト教がローマ帝国の国教化となる前の最後の砦となった。アンブロジウスも、シュンマクスも、ギリシャ的教養に育まれた人だし、ふたりの論戦は、いわゆる宗教論ではなく、政治と社会にまつわる興味深いものだ。
シュンマクスについての詳しい研究書は少なくともフランスでは出ていない。
日本語となるともっと少なくて、私が検索して見つかった二つの論文が参考になる程度だ。忘れないためにリンク。
https://jsmp.jpn.org/jsmp_wp/wp-content/uploads/smt/vol37/109-116_kamata.pdf
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/134854/1/aak_10_115.pdf