Q : カタコンベなどでの画像が持つ役割は?
A : ローマやDoura-Europos画像は要理や神学と結びついていた。画像の教育的価値はローマ・カトリックで存続し、オリエントのような礼拝の対象とならなかったが、どちらでも、スタイルの変化が見られるようになった。
Q : 歴史的なきっかけは?
A : 313年のコンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認だ。ローマ帝国の首都はコンスタンティノープルにうつり、キリスト教は東ローマ帝国の宗教になった。皇帝はイエスのゆかりの地にバジリカ聖堂の建築を始めた。巡礼の地の聖堂にフレスコ画やモザイクで宗教画が描かれ、同時に、迫害されていた頃の殉教者たちの「聖遺物」崇敬が始まった。これらの「画像」の中で、「肖像」としてのイエスの絵が生まれた。
Sekko : 3世紀初め、殉教者たちの記憶はまだ新しい。肉体と魂が共に創られたとするキリスト教の中で、天に召された魂とこの世を結びつけるのが遺骸や遺骸の一部である「聖遺物」であり、聖遺物崇敬が生まれた。殉教聖人らの「生前の肖像画」は「聖遺骸」や「聖遺骨」を補完するものとして必須のアイテムとなっていった。イエスの「肖像」の登場がその一環として現れたというのは興味深い。