1/16と17日の間の夜に、マリーが亡くなったことを2日後に知らされた。教えてくれたのは、もう40年以上も前、20代前半にインドの僧院に渡り、そこですでに尼僧として修業していたマリーと知り合ったチベット仏教の尼僧だ。
マリーはパリ近郊のチベット仏教コミュニティとは距離を置くようになって、ミャンマー仏教のコミュニティと近い関係にあった。
パリでは生活のために国際弁護士事務所で助手を務めていたが、天職は画家であり、工芸家でもあった。
仕事柄、役所関係の書類に慣れているので、1990年代に私がパリではじめてNPOを立ち上げた時に、必要書類を作成してくれて、正式な届を出して登録してくれた。
パリで働いて資金ができるとミャンマーに行って修行するようになっていたので暮らしは楽でなかった。
私たちはパリとパリ近郊の仏教コミュニティについていろいろ話し合ったし、祈りについても興味深い話を聞いた。
前にも書いたが、彼女が祈りのグループに入っていて、世界の争いごとの解決を皆で祈るなどしていた。サダム・フセインを改心させるというのもあった。けれども、いくら集団で祈ったとしても、受ける側にアンテナが立っていないと届かないことが分かったという。
それは納得のいくことで、一方的な祈りやら念慮が「効く」なら、復讐やら憎悪を誰かに向けて死に至らせるなどひどいことでも起こりそうだ。
良心の呵責を抱えて祟りを恐れている人がいるなら、「幽霊」だって機能するだろうし、心を寄せ合っていた人の片方が亡くなっても祈りが通じ合うというのはあるかもしれない。でも一方的なら無理だというのは分かる。
彼女の傾倒していたミャンマーの高僧の話などもよく聞いたものだ。
21世に入って間もないある時、彼女から電話がかかってきた。
金銭的に窮迫していて絶望している、今、窓から身を投げたい気分だというのだ。
私はあわてて、今から彼女のアパルトマンに行くから待っていて、作品を用意しておいて、アソシエーション(彼女が設立を手伝ってくれたアーティスト支援のNPO)で購入したいから、と言った。
アパルトマンでいろいろ見せてもらった中に、彼女がある時ダンサーの知り合いに頼まれて描いたという絵が出てきた。三つの絵が並ぶ縦長の板が4枚ある。
もともと踊りの絵、音楽の絵を集めている私にはぴったりだった。
その4枚を横に並べて一枚の絵にしてくれるように頼んで、アソシエーションから2500フランを払った。縦80cm超、横90cm超のすてきな絵になった。
あの時のSOSの電話がなかったら、今この絵は存在していなかったし、アソシエーションの音楽室に飾られることもなかっただろうと思うと、「ご縁の深さ」というものを感じる。

下の作品は、やはりマリーから購入したコラージュ作品。

暮らしに余裕ができ、リタイアして年金ももらえるようになってから、いろいろな作品を私や友人にプレゼントしてくれることもあった。
ちょうど2年前に亡くなったもう一人の友人(アソシエーションを実質的に運営してくれていた)と私と3人でおしゃべりしたり、食事したり、いろいろな体験をしたこともある。その2人がもういない。70代初めと70代終わりという年齢で、ふたりとも苦労してきた人とは言え、早すぎる別れ。幸い、「彼女のために祈ろう」と声をかけてくれた人たちのおかげで慰められる。マリーが「祈り」をキャッチするアンテナを立てているのは絶対に確かだから…。