Canal+のテレビ映画。
後味は微妙。
なぜ視聴したかというと、無神論者の女性の友人と、カトリック雑誌の両方からの「推薦」があったからだ。推薦者の取り合わせに興味がわいた。
また、主演のヨランド・モローは実力派で、私が信頼する数少ない女優の一人だからだ。
資金援助をしてくれていた息子の死で高齢者施設からの退去を通告されたヒロインが、施設のキッチンから包丁を盗んで、レンタカーを借りた後、復讐の旅に出る。
途中で施設に雇われていた派遣の掃除婦が合流し、彼女らを追う男女ペアの警官が、事情聴取をするうちに段々と…。
当然1991年の鮮烈な映画「テルマ&ルイーズ」を想起せずにはおれない。
だが根本的に違う。テルマ&ルイーズは、30代と40代のまだ若い女たちで、テルマを暴漢から守るためにルイーズが発砲し、逃亡するうちにどんどんひどいことになって、開き直った女たちのカタルシスはあれど、最後は絶望のうちに車ごと崖から飛び込むという悲劇だった。
一方、この映画は、ヨランド・モローが70歳の高齢者、掃除婦も50歳近い設定で、性的犯罪の対象になるというより、それぞれが過去に受けたセクハラへの復讐ということで、彼女らに攻撃される男たちももう若くはない。セクハラだけではなく、パワハラ、モラハラへの復讐もある。
その復讐とは彼らを殺すことではなく、自分たちが受けたと同じような屈辱を与えるということだ。結局、屈辱こそが最大のトラウマであり、死を与えるよりも強烈な復讐手段ともなる。
その意味で、この映画にはいわゆる「流血」のようなシーンはないのだけれど、見ているのが苦しくなる。過去に受けた屈辱の回想はなくても、十分苦しい。
「コメディ」ではあるし、笑えるところもあるけれど、そして、内容は例えば「私自身の過去のトラウマ」などと無関係であるのに、苦しい。
一番いやな人物はヨランド・モローの息子(鬱病だったという設定)の前妻とカップルになっているトニーという男。他のすべてを裏切っても自分の安全が最大の関心事というタイプの男で、この男に鉄槌が下ればいいのにと思うくらいだ。
最も悪質なのは、はただの暴力男でなく口の達者な偽善者かもしれない。
それで、結末も「テルマ&ルイーズ」とちがって、「意外」な展開になっている。
あり得ないことで不自然だけれど、そこは「コメディ」だし、テーマは、あらゆる階層の人がそれぞれのトラウマを抱えながら、あるいは抑圧しながら生きているのだが、もうそういうのは許されない、という「今風」のメッセージとなっている。
ヨランド・モローの代表作