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L'art de croire             竹下節子ブログ

中金 聡『<城壁のない都市>の政治哲学』エピクロス主義研究

1月末、政治哲学の研究者である中金聡さんから著書を贈呈していただいた。
中金 聡『<城壁のない都市>の政治哲学』エピクロス主義研究_c0175451_19280377.jpg


大部の著作で、エピクロス哲学が西洋思想史と政治哲学の中でどのように利用され、理解され、伝えられてきたかを概観するもの。
コンサートの準備でなかなか集中して読めなかったけれど半月かかってようやく読了。
哲学史というより、西洋の政治に哲学がいかに深く関わって来たか、ギリシャ・ローマ文化とユダヤ・キリスト教文化がどのようにかかわり、いずれにもいろいろな形で存続してきた「神」や「神々」をめぐる言説がどのような役割をしてきたのかが一望できる力作だ。

エピクロス主義と言えば、「快楽主義」だと一般に思われてきた。

実際、エピクロスの影響が大きいローマの詩人ホラティウスの「Carpe diem」は、明日のことを思い煩らわずに今を楽しめ、と解釈されてきた。

エピクロス派とストア派が広まっていたローマ帝国下のヘレニズム世界で最終的に広まったキリスト教にも大きな影響を与えている。

エピクロス派は、水をワインに変え、弟子たちや群衆と飲み食いし「宴に招く」イメージのイエスに、ストア派は弟子たち裏切られ、鞭打たれ十字架につけられて死んだイエスのイメージに影を落としているし、それは「集まってパンとワインを分け合う」典礼と、「苦行、禁欲」を徹底して死後の救済を求める隠修士や修道士の伝統などにつながった。


といっても、エピクロスもホラティウスらにとっても、「快楽」は欲望を肥大させるようなものではなく、「知足安分」、足るを知るというタイプのものだった。

それでも、「可死性」を無視することは情動的には無理なわけで、あらゆるタイプの「神頼み」が最終的には「効かない」ことは自明だった。だから、「神は人間に無関心だ」という前提を取り入れたわけだ。これは画期的なものだ。

キリスト教は、その神が人間イエスに受肉したというこれまたアクロバティックな前提から、エピクロス的平安を志向したかに見える。


イエスの教えとして有名なものにこういうものがある。(マタイによる福音書 6章から)

>あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。

>あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。

>あなたがたの天の父は、これらのものがみな、あなたがたに必要なことをご存じである。

>明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。

命も、命の糧も、自然も、みな神から与えられている。無償の「めぐみ」をすでに受けていて、イエス・キリストは全ての人のうちにあるという。

ところがキリスト教神学が構築される世界はヒエラルキーを必要とする社会だ。

神々に供物、生贄を捧げるなどして直接ディールする「異教」は排したとしても、「救済」のためにあらゆる道徳、倫理、教義、支配者と被支配者の関係が新しくはりめぐらされた。

中世のキリスト教世界には暴力、嫉妬、盗み、貪欲、あらゆる種類の「罪」が広がっていた。


そんな時に、エピクロス主義が復活してきたのは、不思議ではないし、それが本来の意味から逸脱してきたのは、それがいかに必要だったかということをあらわしている。

キリスト教神学の行動の規範が「罪」と「罰」の二元論を払拭せず、スコラ哲学で導入されたアリストテレス哲学の「幸せ」が主知的であったことに対して、トマス・アクィナスは、神学大全で、「道徳の目ざすところは幸福である」と言った。

カトリックで聖人の前の「称号」としての福者というものがあるが、「福」はまさに「幸せ」という意味だ。福者たちは神の中に幸福を求めた。それは自分のうちにいるキリストという「恵み」を認識したということだ。

「死」を思い煩うという時に、「悪」の問題が生じる。人が恐れるのは、単に寿命が尽きて死ぬことではなく、「非業の死」だからだ。何の「落ち度」もないのに、犯罪や事故や戦争や天災に巻き込まれて、恐怖の中で無残な死を遂げる可能性が誰にでもあるとしたら、それは「悪」ではないのか。神が「恵み」を与えてくれているなら、内なるキリストがいるなら、なぜ、「悪」は存在するのか。

それに対して、明快に答える有名な神学者がいる。

エピクロスなしに彼の言葉はなかったと思う。

それはモーリス・ズンデルだ。「悪」の問題について彼は明快に答える。


カミュが「反抗」した神は、古典的イメージの全知全能の神、創造主でありすべてを司る神、従って、あらゆることに「責任がある」神だ。それなのに、その神は被造物に対して無関心、沈黙、無干渉を貫く。この神の不在が罪なき人の苦しみを放置し、それは不当でスキャンダラスなことだ。


これに対するズンデルの答えは明快だ。

そんな神、遠いところにいて人間とは別の存在である神は存在しない。

存在するのはイエス・キリストが父と呼んだ「内なる神」だけだ。

アウグスチヌスも、自分の最も深いところで神に出会った。人が神を見ていなくても、内なる神は人を見ている。けれども、神は自由意志で神に応えて「悪」を克服する人たちを通してでないと何も変えることができない。


エピクロスが「人間に無関心な神」というのは、ズンデルが「存在しない」とする神なのだ。

(続く)






by mariastella | 2025-02-15 00:05 |
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