一昨日、フォルカー・シュレンドルフの『Diplomatie(外交)』(邦題『パリよ、永遠に』)がTVで放映されているのを観た。公開当時に観ているがもう11年にもなる。2大俳優のやり取りのすばらしさに惹かれてもう一度観てしまった。
このブログの記事としてはこういうものがあった。
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そうして振り返るうちに、11年前の映画評の近くにあった興味深い記事にたどりついた。
思えば、このブログは、21世紀になるまではそうだったように切り抜きがスクラップブックに埋もれて顧みられなくなった現実を前にして、いつでも検索できる覚書として始めたものだ。でも、その記事すら埋もれている。
今回なるほどと思ったのは「人間、サル、ネコ」というこの記事。
覚書ついでにリンクしておくと、2/15はお釈迦様の涅槃の日で、葬儀についての興味深い記事を別のブログで読んだ。
釈迦の涅槃のシーンはキリストの磔刑シーンと対極の穏やかなイメージだが、その後の「遺体」処理の顛末もここまで真逆だったことに感慨を覚える。イエスの遺体はなんとか十字架から降ろされて墓所に入れられることが許可されたが、次の日(土曜)は安息日なので、日曜の朝に、香油で清拭などしようとして女たちが行ったら墓所は空だったという話。「復活」したわけだけれど、その後、マグダラのマリアにさえすぐに認めてもらえなかったり弟子のトマスに「脇腹の傷口」にさわって確認しろと言ったりしたくらいに、ひょっとして、聖骸布に残っているように「傷だらけで血まみれ」のままだったイメージもある。
金の棺に入れられて火葬されて骨が仏舎利として世界中に広まる釈迦と、「昇天」して体を残さなかったイエスと、「宗教」の誕生に当たって信者たちが紡いでいった話の差の意味を考えさせられる。