ペンシルバニアのヴィラノヴァ大学の神学教授マッシモ・ファジオーリMassimo Faggioliは、イタリア語で書いた『Da Dio a Trump』(神からトランプへ)の中で、トランプ新政府の霊的プロフィールについて語っている。以下、LA VIE No.4147 (2025/2/20)の抜粋を要約してみる。
アメリカにおいては宗教の多様性はマーケットとして機能する。ヨーロッパのように霊性やら宗教がタブーではなく、個人は自由な消費者として宗旨を選択する。トランプのポピュリズムはキリスト教国家としてのアメリカの終焉で、ポスト・クリスティアニズムの時代に入ったことのシンボルとされているが、宗教ナショナリズムは生きている。だからこそ、2024年夏に暗殺未遂から生還したトランプにメシアのイメージが付与されたのだ。
この宗教的迷宮の中で、イギリス、そしてアメリカの植民地主義についての神学的曖昧さを検討するためのカトリシズムは特別な役割がある。
1990 年代から2000年代はじめには保守イデオロギーの避難場所と見られていたが今は、宗教市場価値あるブランドのひとつになっている。
副大統領のJ.D.ヴァンスが改宗したというカトリシズムは第二ヴァティカン公会議とは異なるもので、カトリック文化保守主義者の支持を得た。
近代アメリカのカトリシズムの代表はWilliam F.Buckley .Jr で、社会を人種差別的に見て、反ヨーロッパ主義、孤立主義、中絶反対、などを掲げるが、それは今やポピュリズムと融合している。アメリカの政治シーンではポスト・クリスティアニズムと民族ナショナリズムのキリスト教が共存しているのだ。
トランプはセクシズムやレイシズムを放置し、伝統的な避難所である教会から移民を追い出した。同時に、中絶反対による親キリスト教の看板を掲げて政敵を「不敬な共産主義者」と呼んだ。
アメリカのカトリック界のトランプ支持者は、バイデンが本当のカトリックではない、と宣言した。啓蒙の時代を経たカトリック人類学は看過されている。
アメリカの従来のカトリック信徒はヨーロッパのルーツを捨て、カトリック教会から距離を置くようになった。代わりにアメリカン・ドリームを掲げるイデオロギーに基づくカトリック信徒がやってくる。
アメリカ人にはいつも、霊性、共同体、神への希求があり、それは各時代に政治によって刷新されてきた。
トランプのポピュリズムは、アメリカの経済的、社会的不安に対するシンプルで暴力的で報復的な答えであり、宗教、教会、カトリックの分野における新しい意味の模索でもある。
トランプをメシアと見る者もアンテクリストと見なす者もいるが、この状況はアメリカやアメリカのカトリックだけではなく、すべてのカトリック、特にヨーロッパのカトリックにとって看過できないものである。
以上。
ローマ教皇フランシスコは、2015年にオバマ政権のアメリカ議会で演説した時には好意を持って受け入れられていた。でももう10年にもなるし、これを書いている3/2の時点では肺炎でもう二週間以上入院している。
途中でカトリックのバイデン政権があったにもかかわらず、アメリカにおける求心力はもう過去のものになったのかもしれない。