(前の記事の続きです)
Q : このノスタルジーの感情を解読するのに、「最後の時(これが最後)」というキーワードをお使いですね。自分で用意する最後の準備、最後の災難、最後の希望、など。
A : 私たちにはある種の出来事の前でそれにとらわれてしまう傾向があります。その出来事が私たちの存在の区切りとなり、段階付けとなり、結論になるような気分になるのです。人生を秩序付けるためにそれらを演出し、小説や映画のような物語に仕立て上げる必要を感じることもあります。結果となるものを計画し、用意し、イベント化することでより重要なものに仕立て上げるのです。けれどもそれをやり過ぎると人生を悲劇に変えることもあり得ます。私はそれらの「最後」のセレモニーについて考え、それらがほんとうに決定的な最後であるのかについて考えようとしました。
Sekko : なるほど。ここまで読んだだけではまだよく分からないけれど、確かにたとえば、「入学式」と「卒業式」は違う。「卒業式」は人生の一つの時期が終った、ということを強調して、「別れ」も演出される。「別れる」とか「去る」とか「見送る」などには「喪失」の香りがする。近頃耳にする「実家じまい」とか「墓じまい」もそうだ。もちろん、親しい人や家族の「死」などは、それを受け入れるためにもセレモニーの演出が必要とされるのは理解できる。
(続く)