ジャン・メリエの「遺言書」の一部を必要があって読んでいた。今やすべてがネットで読める。
『無神論』(中央公論新社)を執筆していた頃以来だから久しぶりだ。
なんとなく日本語で検索してみたら、なんと、2006年に法政大学出版局から日本語訳が出ているのをはじめて知った。『ジャン・メリエ遺言書: すべての神々と宗教は虚妄なることの証明 』という。しかし、これを読む人っているのだろうか。
感想や書評がないか検索したら、あるブログで、NHKの毎日フランス語とかいう番組のテキストに使われているとして、写真も載っていた。
いやあ、驚いた。こんなテキスト、日本人のフランス語学習者に使う?
フランス語というのは、本来短いほどエレガントだとされている。
英語のように関係代名詞をだらだら使って書いていたらよく注意されたものだ。
メリエのこのテキスト、内容もスタイルも、フランス語学習者に適しているとはとても思えないけれど、いったい誰が選んだのか、フランス人か、日本人か、その人のプロフィールを見てみたいくらいだ。
今私がメリエを読み返しているわけは、今の世界情勢の中で、独裁政権の国と(形だけは)民主主義国との外交について考えていて、プラトンの『法律』の第十巻をあらためて読みなおしたからだ。
もちろんフランス語訳で読んでいる。
プラトンの『国家』より後に書かれたもので、マグネシアというディストピアは無神論者を隔離、洗脳、処刑するようなカルト国家なのだ。
まあ、大切なのは社会の統一性と帰属感だというのは分からないではないし、神を信じていなくても、それを表明しなければそれですむ。
無神論をイデオロギーにすると「密告」されて投獄されるのだ。
こんなものを読んでいたら、イエスだってエピクロス主義者に見えてくる。
これも試しに日本語で検索してみたら、翻訳は読めないけれど、まさに第十巻についてとても分かりやすい論文があった。
荻原理さんの「プラトン『法律』第10 巻903a-905d の、神による魂の再配置の話について」『ギリシャ哲学セミナー論集』Vol. IX、2012 年というもので、ネットで全文読める。
過去の話でも架空の話でもない。
宗教と政治と権力と富への欲望とが「全知全能の神」と結託して、死後の運命までもちだして脅して恫喝する世界は現実に存在する。
救世主が磔にされている十字架を掲げて「希望」などと言い続けることの意味を考える。