数日前、二つの裁判の求刑がのニュースがあった。
一つはサルコジで、大統領選にまつわる資金調達について当時のリビア大統領カダフィとの汚職があったという嫌疑。
懲役7年という求刑なのだがその際、検事が、サルコジが
une ambition personnelle dévorante(個人的で貪欲な野心)
で正直さなどの価値を踏みにじるにやぶさかでない人物という形容をした。
フランス語の語感としてかなり激しい。
私はサルコジにずっと批判的だったし、嫌いなタイプでもあるけれど、司法の言葉として抵抗を覚えた。
こんな攻撃の仕方、この求刑、もちろん被告側は反撃するだろうけれど、メディアでこれだけ流されれば、一種のリンチであり、フランスの元大統領のイメージを傷つけるのはいかがなものかと思ってしまう。
汚職やその他の不正の証拠があればそれを分析して糾弾すればいいので、「個人的な貪欲な野心」などという人格批判は司法の言葉として不適切だと思うのだけれど、それを裁く司法はない。
同じタイミングで俳優のジェラール・ドパルデューが撮影現場で二人の女性スタッフにセクハラ行為をしたということで執行猶予付き懲役18ヶ月の求刑。
これにも同じようなことを思った。
ドパルデューは名優だが別に「好きなタイプ」ではないし、彼のような権力があればセクハラ「あるある」という気もする。ファニー・アルダンが弁護の証言をしたそうだけれど、スター女優とスタッフでは権力関係が異なる。
エリック・ゼムールが、ある若者が殺された事件について「白人に対するテロ」と口にしたとかで、訴訟を起こされて「刑務所か9000€の罰金か」とされたという話にも違和感を持った。「反ユダヤ」言動や「反イスラム」言動は巷にあふれているし、告発もされているけれど、「言葉だけ」なら、言論の自由、表現の自由の範囲で許容されているものも多い。ゼムールはいわゆる極右で、タイプとしても嫌いだけれど、この人ならいくらでも口にしそうな言葉であり、すぐに訴訟の対象になるものとも思えない。
いわゆる「疑わしきは罰せず」とか「推定無罪」という言葉は大切だし、司法がモラルを問題にする時には妥当性について十分注意をはらわなくてはならない。
SNSのせいで、匿名の中傷、告発などもあふれている今の時代だからこそ、司法は自分の立ち位置をもっと考えてほしいものだ。