4/21、この日は交通機関を使わない日に決めて、食事は表参道の回転ずしでランチ、秋と同じく「ハラカド」のフードコートの台湾料理で夕食。
宮下公園を経由して渋谷のパルコで生徒のためにカードを買おうとパルコのポケモンセンターに行くと、レジ前に40分待ちの列ができていたのであっさりとあきらめる。
午後、教皇が帰天したという速報をネットでみて驚いた。
前日の復活祭ミサでバルコンに姿を現していたということも知って驚いた。
例年、フランスとタイムラグのない復活祭の日曜日の正午には、テレビで教皇のメッセージを聴いて「全免償」を受けた気分になるのが習慣だが、今年は、日程上すべてスルーした。でも復活祭に106歳のシスターとお会いできたことで満足だった。
フランスのニュースチャンネルなどはどこでも教皇の帰天の特集一色だった。
しかも、今年は「聖年」で、多くの人がローマに巡礼に来ていたから、衝撃も増幅した。日本ではもちろんほとんど話題にもならないから、フランスのTVをネットで梯子してさまざまなコメントをきいた。前日の教皇の様子や、まさか姿を見れると思っていなかった人たちの喜びや、パパモビルに乗って赤ちゃんの祝福までした様子も何度も何度も流された。最後の肉声はいかにも辛そうで、微笑みもなかったけれど、とにかくこの日まで持ちこたえ、全てを捧げて復活祭の翌日に亡くなるという意志はすごいとしか言いようがない。聖霊と共に生きるってことは本当にあるんだなあ、と思った。
そして、もしこれが、復活祭日曜の当日の朝の帰天だったらどうだったろう、とそのぎりぎりのリスクを思う。翌日だから、ある意味「やり遂げた」ということで「おめでたい」感すらあった。
前日にシスターたちや司祭さんとみんな笑顔で「復活祭おめでとう」と言葉を交わすことができたものの、もし当日に教皇の死によってすべての祝福スケジュールが狂うなどであればどうなっていただろう。(いや、発表を午後まで遅らせていた可能性の方が大きいだろうが。月曜も、発表は逝去の2時間後だった。)
ヨハネ=パウロ二世が最後の復活祭で見せた姿もある意味で悲愴な感じがした。
次の教皇の条件として「65歳から70歳」という人がいる。若いと30年も教皇職にある可能性があっていろいろな意味で「長期」は弊害があるからだという。
フランシスコ教皇は12年とある意味で適正な在位期間だった。
健康状態が悪化しても生前引退を考えなかったのは、ベネディクト16世に続いて同じことをすると「先例」として次の教皇の圧力になるのを避けたからだという。
アイパッドからリビングの大型画面に移して視聴できるのでフランスにいる時よりも迫力があった。
この日の午後からは、「教皇帰天のヨーロッパ頭」と、「昨日と変わらない渋谷頭」が完全に並行して進み、ある意味ではじめての体験だった。