帰りの機内でまず観たのは、行きと違って即決、一択の「コンクラーベ」。
この機内で絶対に多数の人が観たに違いない。
教皇の友人でもありコンクラーベを仕切る枢機卿ローレンスのキャラクターがとてもいい。アフリカの枢機卿と修道女(なんとイザベラ・ロッセリーニ)の関係とか、別の枢機卿が選出されるために賄賂を配っていたとか、ローレンス枢機卿の心の動きとか、保守派と改革派の対立とか、「権力をめぐる」駆け引きや闘争がいろいろなレベルで描き分けられているので、シナリオも悪くない政治ミステリー映画になっている。
テロでシスティナ礼拝堂にも爆発の余波があり、イスラム過激派を弾劾しようという雰囲気になった時に、アフガニスタンという長年の戦闘地域から来たカブール司教が演説をして、みながイエスの教えの根本に戻るという展開は、まあ悪くない。
でも、最後の五分で展開される「驚きの事実」みたいなものは、オチのつけ方としてはありだったろうけれど、せっかく「霊的」な回答が出た後だったので、違和感があった。
今回、実際のコンクラーベの経緯を見ていると、もちろん政治的な立場はあるにしても、みな年配でありすでに一定の権力やら権威を行使してきて承認欲求も満たしてきたであろう人たちが、全世界の眼から逃げられない地位に余生を捧げる意欲など本当にあるのかどうか、と思ってしまう。
システィナ礼拝堂の最後の審判は、審判をするのはイエスだけであり、聖職者ではないということを突き付けている。それを前にしたらそれなりの「神と向き合う」覚悟が生まれるだろう。しかも、枢機卿や国や教区の思惑だけでなく多くの無名の人が「祈っている」という時に、「聖霊」の働きを感じない枢機卿など例外ではないだろうか。
フランシスコ教皇の逝去以来、この映画への聖職者のコメントを見聞きしたのも興味深かった。