私はフランスにいてフランス視点で書かれた歴史書を多く読んでいるから、たとえば17世紀の時点で、フランスはハプスブルグの大海に浮かぶ小島のようだったというイメージがある。神聖ローマ帝国の継承者となったシャルルマーニュのフランク王国は、分裂してから、実質ドイツの選挙侯たちに移り、フランスのカトリックは、いつのまにか「ガリア教会」としてローマから距離をとり、ルイ14世の絶対王朝は王権神授説による権威を保証され、ハプスブルク圏の国と戦う時には、プロテスタントの諸侯と同盟を結ぶことも辞さなかった、などだ。
それでも、ルイ13世はスペインのハプスブルク家の王女と結婚し、ルイ14世もスペインの王女、ルイ16世はオーストリアの王女と結婚、革命後の「皇帝」ナポレオンも、離婚してまで神聖ローマ帝国皇帝の娘を妻に迎えた。いずれももちろんいわゆる「政略結婚」だ。
ハプスブルグ家との婚姻は、ヨーロッパで生き延びて、戦争をしないですむ外交の絶対条件だったかのようだ。
でも、ドイツもオーストリアもスイスもハンガリーもボヘミアもスペインもポルトガルもオランダもみなハプスブルグだったと言われても、特に日本で西洋史を学んだ身にはぴんと来ない。日本ではいわゆる「現地読み」を優先するから、スペイン風のカール五世がフランス読みだとシャルルカンであり、いったいどこの国の人間で何語を話していたかなどぴんと来ないのだ。
で、まさに、そのハプスブルグのメソードのひとつは、姻戚関係で緩くつながることで、侵略や支配によるのでなく、連邦国家のような帝国を作ることができたのだという。言語を統一することもない。
皇帝も、絶対君主などではなく、各国での直接の政治にはかかわらなかった。興味深いのは、政治は政治家に任せるわけだが、皇帝の役割は「帝国の国民を政治から守る、政治家から守る」というものだったらしい。
確かに、一般の政治家なら、自分の権力の拡大や保持のため、私利私欲のために政策をゆがめたり国民から搾取したり、欺いたりすることもあるだろう。一方「皇帝」はシンボリックな存在だからこそ、特に、カトリックの見地に立った広い視点から、政治における公正さを担保するというのだ。
今の共和制国家においても、首相が内政を担当しても、大統領(原則として外交と軍隊担当)は、ハプスブルクの皇帝のように、国民を守ることに専念すべきだという。
なるほど、と思った。
日本の皇室のことを連想したからだ。戦後の憲法で、天皇は国民統合の「象徴」とされている。だから形式以外の政治的行為はできない。かといって、政治や政治家を批判することもできない。天災の被災地を回って被災者に励ましや慰めの言葉をかけることはできても、「国民を政治や政治家から守る」ことはできないのだ。でも、皇族には選挙権すらないのだから、大局に立って国民を政治家から守るというハプスブルグのメソードもあり得るのでは、とも思う。日本の風土には合わないとされてしまいそうだが…。
そして、この著者、エドゥアール・ド・ハプスブルク・ド・ロレーヌ(ドイツ語読みはエドゥアルト・ハプスブルク=ロートリンゲン)だが、ドイツのミュンヘン生まれでどう考えてもドイツ国籍のドイツ人だとおもうのだけれど、ヴァチカン在住のハンガリー大使としてローマに住んでいる。この辺も、ハプスブルク家ならではの国際人ということなのだろうか。完璧なフランス語話者でもある。
カトリックのネットワークの歴史はヨーロッパで今も続いているということか。
(七つのメソードをEUやイスラム勢力とどのように擦り合わすことができるのか、本を読んでみて考えたい気もする。)