塩が鉱物だと言われると、昔は何となく違和感があった。日本に住んでいると、塩は海水から声援されるというイメージがあったからだ。そして海水が塩辛いのは、海で泳ぐと実感しているし、日本は島国、海に囲まれて塩はいくらでも調達できると思っていた。
実際は日本の塩づくりは例えばフランスよりも大変だそうだ。回数にはもとより3%の塩しかないし、日本は湿度が高いから海水の水分を蒸発させる過程がけっこう大変なのだ。フランスにも海から塩をつくるのを見学するツアーなどがあるが、海水を浜にあげて浅くした塩田ストックするのが基本だそうだ。その海水は赤っぽくなる。海水の中の海藻が、生き延びるためにベータカロチンをより多く輩出するからだそうだ。なるほど。
ピンクの岩塩を思い出す。
1990年代はじめに(モンゴルの町と姉妹関係にあった)田舎の別荘をモンゴルの学校の先生と生徒のグループに提供したことがあって、彼らが去った後にピンクの岩塩がおいてあった。チベットのお坊さんから、それは削ったり、こすりつけたりして使うのだと教えてもらったけれど、インテリアとして飾ったままで、まだある。
ヒマラヤの岩塩ピンクのなのは鉄分が多いからそうだ。
で、塩というと、力士が土俵で塩を撒いたり、葬儀から帰ったら塩を撒いてもらったり、しかるべき場所に「盛り塩」をしたり、お米といっしょにお供えしたり、と、「清め」のパワーが連想される。キリスト教の東方教会の文化では、パンと塩が組み合わされる。宴席などでパンの上に塩の小壺が置かれてみながパンに塩をくぐらせるという習慣もある。
「塩対応」「辛口評論」(この「辛口」というのは塩辛い、ではなくて辛辣なのだろうけれど、酒の甘口辛口の違いや甘辛煮など微妙に使い分けがある)などという表現からは、「塩」は厳しそうでむしろネガティヴだ。
だからと言って「大甘」「甘やかす」「脇が甘い」「甘く見過ぎた」などというのもやはりネガティヴだから、やはり甘すぎず、辛すぎず(あるいは塩辛すぎず)の中庸がいいのだろうか、甘いと辛いとは別の次元で「清め」のシンボルとなる「塩」があるのだろうか、塩気と清めの関係をもっと知りたくなった。
カトリック的に言うと、なんといっても、ポーランド王妃の聖キンガの投げ捨てた婚約指輪が見つかったというヨーロッパ最大、世界最古とも言われる岩塩坑ヴィエリチカ。1996年に廃坑となり観光地となっている。一度は行ってみたい。