イズーくんは、すぐにあおむけで寝転がって、いわゆる「ヘソ天」で寝る、私にとって初めての猫だった。

だから、これはチャンスだと思って、食事の前に「伏せ、コロン、ニャン」と号令をかけたら横になり、コロンと一回転してニャーというようにしつけることに成功した。(そういう猫の動画を見てうらやましいと思っていたので)
となりで食べる先輩ネコのスピヌーは、「お座り、お手、おかわり(反対の手を出す)」(その他に「おっきいお手」というと手を広げるし、「たっち」というと立つなどいろいろできた。
スピヌーがいなくなった後でやってきたナルくんも、実はイズーと同じく「ヘソ天」しやすい子だったけれど、スピヌー・ロスが大きかったので、お座りとお手に限定した。ふたりそろってコロンとした方が「絵になる」のだけれど、スピヌーの思い出が勝ったのだ。
その結果、食事の時間にはそそくさと座って申しわけ程度に手を出すナルくんの傍で、イズーくんは、ばたっと横になってくるんと回らなければならないってなんだかかわいそうなことになっている。
で、イズーくんはよくヘソ天で寝ていて、私がそばに来ても眼を開けようともしない。足でおなかや首を撫でてみても、気持ちよさそうに顎を上に向けることはあっても、基本、動かない。その度に、「よくここまで信頼できるなあ」と感動する。完全室内飼いで、絶対安心安全でスピヌーともナルとも仲良しだから、「危険を感知する」などという発想がないらしい。
いつも思うしこれまでにも書いているけれど、「無条件の信頼」を見せつけられるほどの幸せはない。それだけでもう、すべての「お世話」は報われて余りある。
無条件に信頼してもらえているということは、ある意味で、まるで神さまにでもなった気分だ。いろいろな「神頼み」をしまくっている人だって、ここまで神さまを信じていないだろうと思ってしまう。ましてや、人間同士でここまで無条件の信頼を寄せあえる関係を築けるなどめったにない僥倖だろう。
私のメンタルヘルスの多くは彼らに支えられているだけでなく、そもそも、こういう関係を築くことが「不可能ではない」と知ることで、生きていく上での勇気をもらえる。