音楽評論家のNicolas d'Estienne d'Orvesは公立学校の名にもなるほど有名なレジスタンス闘志の甥なのに超保守でもあり不思議なキャラの作家ジャーナリストだ。まだ50歳ちょっとなのに一昔前の教養人の趣で、ブラックジョーク、シニックな偽悪、挑発など、ある意味でとてもフランス的な人だ。
その人がインタビューで、人生の転機としてAndouilletteとの出会いがあると言っていた。アンドゥイエットと出会った前と後で何かが変わったらしい。
その変化がどういうものかよく分からないけれど、このアンドゥイユ系の食べ物は私の一番苦手なものなので、それを聞いて記憶が蘇った。
私はもともと内臓系が苦手で、焼き肉での「モツ」なども近くで見たことすらない。私の周りの人も同じようなタイプなので、レストランの向かいのテーブルでそれを食べている人と同席したことすらほとんどない。
ブダン・ノワールとの区別もつかなかった。アンドゥイユもブダン・ノワールもいわゆる腸詰で、中身も内臓系、後者は血がたくさん使われている。ブダン・ブラン(ホワイト・ブダン)というのは時々食べる。血は使われていず、小麦粉を牛乳で煮たものにパン脂と鶏肉のソーセージ)で柔らかい。それでも、料理する前に薄皮(腸の皮?)を向いてから焼く。
ブダン・ノワールとアンドゥイユが私の中で混同されていたことは最近のこのブログでもわかる。(レストランの部分)
子供の頃は刺身も食べられなかった。しらす干しは今でも食べられるけれど(子供の頃、病気で寝込んでいた時、母がしらすの目を怖がる私のために一匹ずつ目を取り除いてそっとおかゆに混ぜてくれたことがある)、今も普段は魚の切り身ばかり目にしているために、たまに朝市でごろりと横になって鱗を輝かせながらこちらに目を向けている魚たちを見て怖くなることがある。元の形を想像するともうベジタリアンになるしかないと思うくらいだ。
動物、虫、あれもこれも怖がるタイプの都会の子が高齢者になった。
幸い、今は、ベジタリアンやらヴィーガンやらエコロジー原理主義者やらも普通になったので、一昔前のフランスのような肉食文化で目立つこともないので助かる。
こういう場面では、「多様性」がスタンダードになっていく時代の恩恵を感じるばかりだ。