複雑な思い
少し前にこういう本を紹介した。
購入して読んだ時、ショッキングなエピソードに出くわした。 著者のオスマン・エンジャはセネガルのジャーナリストで、テロや内戦を報道するためにアフリカに滞在しているフランス人のレポーターをよく知っている。彼らは一触即発の現場で興奮しているからかもしれないけれど、毎朝、何かすごいことが起こることを期待しているという。神風テロリストが自爆してこなごなになったシーンをためらわずに撮影する。 ところが、2015年の11月13日のパリ、彼の住んでいるカルチエで行きつけのカフェ二軒が襲われ、バタクラン劇場にテロリストが侵入して無差別テロを行い自爆した。彼もよく知っているジャーナリストたちが駆けつけて撮影し報道した。 ところが、エンジャが驚いたのは、カメラマンたちが、遺体の損傷をまったく撮っていないことだった。アフリカとの違いを質問すると、「いや、普通に、自然に撮影した」という。 これを聞いた彼は、もし、テロの犠牲になるなら絶対に「白人」がいい、とシニカルに書いている。「全てを赤裸々に伝える」というジャーナリストの使命より、「犠牲者の尊厳を優先する」という気持ちの方が「自然に」出てくるからだ、と。 言い換えると、アフリカにやって来る白人のカメラマンは、無意識に、アフリカ人のテロ被害者は「報道対象」とだけ見て、「同じ人間」とは見ていないということだ。一方、フランスでテロの犠牲者を見る時、それが自分であったり友人であったり家族であったかもしれないという可能性が無意識に働いて、カメラの被写体より先に人間を見てしまうのだ。 確かに、フランスで続いたさまざまなテロの報道において、犠牲者の姿が生々しく移された写真は見たことがない。現場の血の跡やら生存者による証言だけで十分に劇的で生々しかった。飛行機事故でも、損傷の大きい死体写真が出回ることはまずない。黒焦げになったリばらばらになったりした機体の写真などで、深刻さは伝わり、悲惨な死体写真を写すことは報道の絶対条件ではない。 そこでふと考えたのは、被爆80年でこの夏あらためて語られた広島長崎の被爆者の悲惨な写真だ。黒焦げになっていたり体が溶けてゾンビ状態で立っていたり、という恐ろしい写真を一度も眼にしたことのない人はないだろう。 で、これらの写真は、明らかに、アメリカ軍の報道官によって撮られたものだ。治療の写真も含めて、原爆が具体的にどのような「効果」をもたらせたかを記録し検証するために絶対に必要だった。アメリカの軍事的覇権構築のためにもできるだけ多くの犠牲者や被爆者の写真が収拾された。その写真の一部をアメリカから取り寄せたものが原爆資料館に展示されるのだろう。 (「サンデー毎日」の8/31号には、毎日新聞などの記者が直後に広島に入って被爆者の写真を撮ったが、占領軍批判につながる報道を規制するプレスコードが発令され写真はGHQに没収されて何とかネガを守った、という記事があった。そんな被爆直後に現地入りできたのだろうか。1953年になってからサンデー毎日でようやく公開されたという。現在原爆資料館でそれらの報道写真を並べた企画展が開かれているという。誰が最初に撮ったのものかは知らないけれど、重い放射線被害を負った人の姿も公開されているのだとしたら、複雑な思いだ。) 原爆の悲惨さを伝えるためだけなら、原爆ドームもそうだけれど、建物の損壊の様子や、物質的なものの写真だけでも十分インパクトがあるはずだ。 広島の式典で石破総理が引用した被爆者のことば「太き骨は先生ならむ そのそばにちいさきあたまの骨あつまれり」の描く情景にはどんな写真よりも胸をえぐられる。 アウシュヴィッツから解放された骨と皮のユダヤ人や死体の山の写真も世界中に流布しているけれど、あれだって、非ユダヤ人がユダヤ人に向けた視線だったからこその赤裸々な記録と拡散だったのでははないだろうか。 (戦争や差別の恐ろしい被害の一部始終を記録するということと、最初からその対象が「カメラマン」とは別の世界の人間だということは、ひょっとしてエコロジストが屠殺場に引かれていく動物の扱いに抗議して撮影するのと共通するものがあるのではないだろうか。) 自分や自分の家族が事故や犯罪や戦争でボロボロ、ばらばらになった姿を世界中にばらまかれることを想像するとおそろしい。 さらに、一つ間違えば、見せしめのリンチなどを撮影することと通底するものがないだろうか。(解放後のパリで、ドイツ軍と関係したコラボの女性を公開で辱めて撮影したことから、SNSで集団暴力やリンチを撮影して流すこと、ハマスが10/7にキブツでの蛮行を撮影したことまででに通じる。) 「見える」化すると、報復感情もエスカレートする。 アメリカが原爆投下を戦争犯罪と認めたことは一度もないという事実もあらためて思い起こしてしまう。日本も「合法」だとしている。 日本の被爆者の悲惨な様子、遺体、ナチス収容所で山のように積まれた遺体や「解放」された人々のやはり「悲惨」でくくられる様子など、あらゆる意味で「強い」側が一方的に撮影したこれらの写真を私たちはもう、一部の研究者以外の目から徹底的に隠す時が来たのではないのだろうか。
by mariastella
| 2025-08-26 00:05
| 歴史
|
以前の記事
2026年 02月
2026年 01月 2025年 12月 2025年 11月 2025年 10月 2025年 09月 2025年 08月 2025年 07月 2025年 06月 2025年 05月 2025年 04月 2025年 03月 2025年 02月 2025年 01月 2024年 12月 2024年 11月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月
カテゴリ
全体
雑感 宗教 フランス語 音楽 演劇 アート 踊り 猫 フランス 本 映画 哲学 陰謀論と終末論 お知らせ フェミニズム つぶやき フリーメイスン 歴史 ジャンヌ・ダルク スピリチュアル マックス・ジャコブ 死生観 沖縄 時事 ムッシュー・ムーシュ 人生 思い出 教育 グルメ 自然 カナダ 日本 福音書歴史学 パリのオリパラ 人生観 未分類
検索
タグ
フランス(1344)
時事(800) 宗教(703) カトリック(629) 歴史(427) 本(309) アート(250) 政治(222) 映画(178) 音楽(153) 哲学(113) フランス映画(106) 日本(99) フランス語(94) コロナ(85) 死生観(63) 猫(56) フェミニズム(49) エコロジー(48) カナダ(40)
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ファン申請 |
||