人気ブログランキング | 話題のタグを見る

L'art de croire             竹下節子ブログ

「不可能」はない? (できるだけ、ともう少し)

フランスのある研究者(ノーベル医学賞を受けた人だが、その後いろいろ誤解を招く発言を繰り返し、中国に渡った。故人。私は彼の考えを陰謀論のように位置付けることには疑問を持っている)の生前インタビューをラジオで聞いていたら「Impossible n'est pas français. 」(不可能という言葉はフランス語ではない)と言っていた。久しぶりに耳にする言葉だ。フランス人の矜持ととられるか傲慢ととられるか微妙なところだけれど、そういえば、日本語ではナポレオンの言葉として知られているのを思い出した。なんと日本語版のWikipediaにも載っていたので貼っておく。


そもそも、伝統的な「大和言葉」で「可能」とか「不可能」は何というのだろう。フランス語のpossibleとかimpossibleは幼児にも使えるけれど、日本の幼児に漢語は使いづらい。

「不可能な」の言い換え・類義語を検索すると、


物事実行することが不可能と思われるさま

到底できない/できる気がしない/出来っこない/出来るわけがない/出来るはずがない/全くできる気がしない

望みがない

可能性がない

無茶だ

無理だ

到底及ばない

手に負えない

手に余る

全く歯がたたない

太刀打ちできない

能わない

かなわない


などとあった。「太刀打ちできない」というのは日本語っぽい。


出典についてフランス語で検索してもいろいろ出て来るけれど、その一つに、「不可能がない」のはポーランド人のことだというのがあった。


1808年、スペイン征服を目指したナポレオンはマドリード近郊で足止めされた。非常に狭い峠がスペイン軍中隊四師団と狙撃兵によって守られていた。ナポレオンはポーランド軽騎兵(ポーランド貴族から騎兵を募集した軽騎兵部隊)の小隊を派遣して彼らを撃退しようと考えたが、兵力比は数千に対する140人で、フランス軍の副官たちは皇帝に「不可能だ」と告げた。歴史家エレーヌ・ド・シャンシュネルによると、ナポレオンは「何だって?不可能だ!そんな言葉は知らない!我がポーランド人に不可能なことは何もないはずだ!」と叫んだという。彼らはスペイン軍を打ち破り、この偉業によって「不可能」という言葉は宮廷で有名になったという。


まあいろいろな文脈があったらしいが、ナポレオンのような男が命令したり決断したりする時に、だれかが「不可能です」「無理です」と答えたら、「不可能? そんな言葉は存在しない!」と叱責するのを想像するのは難しくない。

戦争や勝負事で「降参」したり白旗を掲げた利するのはあり得なくて殺されるまで戦え、捕らえられる前に自刃せよ、などという建前も存在してきたが、そもそも「負けること」自体を想定しないで、絶対に可能だ、「やればできる」と言い切ると鼓舞されることもいろいろな場面で見受けられる。


まあ、何ごとも「絶対に…だ」などと言い切ることは神ならぬ人間にはそれこそ「不可能」だろうから、謙虚に堅実に、「できるだけ、ともう少し」で生きていきたいものだ。


付録)公式サイトの「できるだけ、ともう少し」のマニフェストを下に貼っておく。(自分で時々読み返せるように。)


>>>>チマッティ師の愛した言葉、「できるだけ、と、もう少し」をテーマにあれこれ書いていくことにした。
人事を尽くして天命を待つというのは、できるだけのことはやれ、ということだ。 自立しろというのも、自助努力というのも、自分でできる限りのことは自分でやれということだ。誤解してはいけないのは、人並みにやれとか、平均をクリアーしろというのでなく、その人のマキシマムをやれということで、病者は病者、障害のある人は障害のある人、頑健な人弱い人、才能のある人ない人、自分のできる範囲だけは出し惜しみしたり、楽しようとせずにやるべきだ、という話だ。
チマッティ師は、その「できるだけ」、に「あと、もう少し」、を加える。これは考えれば考えるほど、本質をついている。


まず、単純に考えて、「できるだけ」という自己判断は、大抵の人にとって、甘くなる。限界が近づいて疲れたり、努力と結果が相関しなかったり、飽きたり、それから、これがつらいところだが、絶望への誘惑というのがある。無力感に打ちひしがれるという表現があるが、これが最も誘惑に満ちた退却だ。「できるだけのことをする」というのだから、力が尽きればそれでおのずから止む、はずなのだが、無力でなく、無力「感」が、最後の頑張りと希望をかき消す。ここで、「できるだけ、と、もう少し」を念頭においておけば、「できるだけ」ががちがちの目標でなく、もう少しの手前にある、「とりあえず、今、ここでできるだけ」というユルいものにみえてくる。今日は絶望して眠ったけれど、朝にはまた、別の力がわいてくるかもしれない、別の道が開けるかもしれない。


次に、「できるだけ」を果たした、と自信をもつことの危険だ。結局、「できるだけ」というのは、刻々変わっていくので、「できるだけのことはやった」と満足した時点から、退行がはじまりかねない。人事を尽くして天命を待つ、のも、「倒れて、のち、已む」というギリギリで、あとの死後の世界については神様にお任せ、というのなら別だが、まだ、こっちの世界にいる限りは、「もう、少し」を常に自分に残しとかなきゃいけない。バランスをとるというのは大事だけど、バロックの世界では、次の動きを促さないような平衡状態は、「死」と同義である。「できるだけ」パワー全開の、「やることは全てやった」、ってのは、その中に「終わり」を内包しているということだ。できるだけのことはする、しかしその「できるだけ」は、その先の、「もう少し」の芽を膨らませていなければならない。
「できるだけやる」、であとは絶望したり、満足に浸ったりする人には、「できるだけ、と、もう少し」を目指した人がある朝照らされる可能性のある光から背を向けることになるかもしれない。費用対効果だのメリット主義だのの数値だけで動く人には見えない光だ。「量から質」への転換という考えがあるが、「できるだけ」は、量にちかく、その先の、「もう少し」は質に近い。意欲の持続であったり、改善の検討だったり、思いやり、であったり、「個人のできるだけ」から「連帯のできるだけ」への参画であったり、する。


アンチエイジングの努力をマキシマムにしていたら突然病気になってそれどころではなくなった、人生における自己実現を目指して着々と計画を立てていたのに今ひとつ評価してもらえない、理想の家族を守ってできるだけのことをしていたのに不可抗力の事故がふりかかった・・・「できるだけのことをしていた」は挫折感も大きい。「できるだけ」は、期待を正当化するからだ。「できるだけのことはした」という自負から生まれる「期待」をあえて消して、「もう、少し」で、「希望」をはぐくもう。
「あと、少し」は、「できるだけ」に鞭打って能力以上のことを要求することではない。弱った臓器に薬を投入して、負荷をかけて無理やり機能させることでもない。曖昧ゾーンのままでいいのだ。「あと、少し」の場所には、いろんな風が吹いてくる。
絵の具箱を見てみよう。赤の絵の具も青の絵の具もいる。みんな、違って、オンリーワン。でも、オンリーワンだからといって、他の色より、偉いわけでもないし、違っていることが特別なわけでもない。「個性を生かすんだ」と言って、赤の絵の具がますます赤くなって、画面を赤で「できるだけ」塗りつくしても、これといって評価してもらえない。ピンクとか、朱とか、「赤系統」でまとまったりして、そこで自分の真紅を自慢したりするが、あれ、青のグループでも似たようなことをやっているぞ。
でも、絵の具たちには、共通点もある。発色して、一つの絵に参加できるというところだ。どの色の隣に並ぶかということで、互いに、思いもかけぬ効果を発揮したり、ぜんぜん別の色に見えることすらある。色だけではなく、互いの形を工夫すると、あら不思議、ちかちかきらめく錯視画像や、グルグル渦巻く錯視画像や、3D画像だってできてしまう。インスピレーションに導かれればモナリザにだって礼拝堂の天井画にだってなれるのだ。
「赤い絵の具の赤さでまっとうして自己実現するぞ」と思って真っ赤になってがんばっていたら、絶対に知ることのない世界だ。自己が自己の「できるだけ」を尽くして実現できることなんて、よくよく考えるとたいしたものはない。


「できるだけ、と、もう少し」の「もう少し」の部分にこそ、ユニヴァーサルの世界に参入して自己を超える秘密が宿っている。(2007.8.31)





by mariastella | 2025-09-05 00:05 | フランス語
<< フランスの福音派 その1 ランボーはイスラムに改宗したのか? >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
2026年 04月
2026年 03月
2026年 02月
2026年 01月
2025年 12月
2025年 11月
2025年 10月
2025年 09月
2025年 08月
2025年 07月
2025年 06月
2025年 05月
2025年 04月
2025年 03月
2025年 02月
2025年 01月
2024年 12月
2024年 11月
2024年 10月
2024年 09月
2024年 08月
2024年 07月
2024年 06月
2024年 05月
2024年 04月
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧