ソルジェニーツィンの言葉に「全ての革命は全体主義に終わる」というものがあるそうだ。
今、もはや10年以上も前になる「アラブの春」のその後の展開を見直している最中だ。
「革命」というと、「民主主義」ではない独裁者や、一部の権力者、それにつながる富裕層などが支配する世の中で、虐げられていたり不公平な立場に立たされていたりする「社会的弱者」が「蜂起」して権力者を倒して「民主主義」を打ち立てる、というイメージだ。
「アラブの春」の一部では、はじめてSNSによる若者同士の広いつながりができて、政権の中の反対勢力とは関係ない自主的な動きで「民主主義」という概念が掲げられた。新しいタイプの革命による自由民主主義の社会への移行があり得るかという希望が共有されたのだ。
それ以前には、米英軍らによる一方的なイラク侵攻が力づくで中東世界に「民主主義のドミノ倒し」などと言われながら泥沼に陥っていた。
それとはまったく別の「アラブの春」に期待したことについて『キリスト教の真実』(ちくま新書)に書いた。ところが、その後、イラク侵攻には果敢に反対したフランスが、親米サルコジ時代に入り、オランド政権ではリビアの「民主化」のために「空爆」を先導することになってしまった。
『神と金(カネ)と革命がつくった世界史』(中央公論新社)はその最中に書いたものだが、中近東やアフリカのその後に踏み込むことはしていない。
今、ソルジェニーツィンの言葉を想起して、革命と「民主主義」と「全体主義」との関係、そこに「経済成長」という変数を取り入れることで、新たな情勢分析と日本人の視点から見た提言について考えている。暴力革命も戦争も回避して、民主主義と全体主義の単純な善悪イメージも回避して、真の「共生」のために、「世界のトリックスター」としての日本にできることがあるような気がする。