近いうちに、アングロサクソン系の雑誌『Journal of Medieval History』という中世史の専門誌に、フランスの若手中世史学者Nicolas Sarzeaudが、トリノの聖骸布についての最初の記録について新しい発見に基づく記事を出すそうだ。(LA VIE No 4174/2025/8/28)
この人にはすでに、『西洋におけるキリストの聖骸布(複数)』Cerf, 2024)という著書(2021年の博士論文)がある。11世紀から14世紀にかけてイエスの体に触れたというさまざまな布の崇敬が始まったことについての歴史だ。
2024年の夏の初め、彼は別のテーマに向かおうとしていたが、パリのビストロで、中世における宗教、科学、魔術の関係の専門家であるBéatrice Delaurentiから数年来聖骸布についての1370 年前後のコメントのコメントを数年来研究していると耳にした。
ニコラ・オレスム(1325-1382)というパリ大学有数の学者で、シャルル五世の宮廷にも出入りし、リジューの司教として人生を終えた人の文献だ。
この人のテキストが、8 年間も出版社で眠っていた後で、アラン・ブーローと共に、Belles Lettres という出版社から「Ecrits métaphysiques, politiques et théologiques, section 2 : Antropologie des erreurs humaines,volumes VI-VIII, de Nicole Oresme」というタイトルで近く出版にこぎつけたというのだ。形而上学、政治学、神学のテキストの中で「人間的エラーの人類学」というものに「聖骸布」があるのだ。こういう角度から聖遺物を語るのは新鮮だ。
当代一の碩学だったオレスムはアリストテレスを王のためにフランス語に訳した人で、合理主義、科学精神にのっとって、偽の信心のメカニズムを解明しようとした。
前の記事でも触れたが、トロワの司教による調査の後1350年に聖骸布はいったん公開を禁止された。このタイプの「聖遺物」の崇敬は当時珍しいものではなかったから、それを偽物として禁止するのは例外だったともいえる。しかし1389年にジョフロワ・ド・シャルネの息子が「真の聖骸布」という触れ込みでなく、イコンとして再公開に踏み切った。しかしそのことで、シャルル六世からアヴィニヨンのクレメンス七世の指示を仰ぐほどの論議を巻き起こした。
結局、クレメンス七世は、「キリストのイコン」というタイトルでの崇敬を許し、それが今まで続いているわけだ。(カーボン14によって布が中世のものだと判断された後も、1998 年にヨハネ=パウロ二世が再び「イコン」として認定した。)
しかし、今だに、聖骸布の「真偽」は宗教を超えて社会的論議にすらなっている。
イエスの体に触れたという多くのもの「十字架の木片、釘、茨の冠、上衣、包皮から乳歯まで」が今もヨーロッパ中で崇敬の対象になっている。明らかに「偽物」とされたものもあるが、多くは、「鑑定」の対象にすらならないのだ。あらゆる「聖なるもの」に寄り恃む人々の信仰エネルギーが「聖地」を創っている。このブログでも昔「釈迦の真骨追いかけと仏舎利」についていろいろ書いたことがある(『渡り鳥の見たキリスト教』ふり―プレスに収録)。
「真実」と「事実」は別物だ。「真実」とは常に追い求めるものであり、固定されるものではない、とあらためて思う。