コーランが最初にラテン語に訳されたのは12世紀のトレドで、トレドの修道院は当時イベリア半島の多くを占めるアラブ世界と交流してその知識を導入しル翻訳センターになっていた。アラブ世界にはユダヤ人もキリスト教徒も住んでいて、カトリック王が領土回復のレコンキスタに向かうまでは学際的研究が進んでいた。
コーランの最初の翻訳は、字義通りでなく解説を加えながらのものだった。ムハンマドは「偽予言者」とされる。
その後何度かコーランのラテン語訳が現れたというものの、16世紀ヨーロッパでの宗教改革の時代にあらためて訳されたコーランのベースになったのは最初のヴァージョンだったという。
ルターが、印刷術を利用して聖書のドイツ語訳を出版したと同時にコーランも取り上げたのは、カトリック批判のためだったという。
興味深いのは、カトリック世界でもプロテスタント批判にコーランを利用していたということだ。たとえばルターのことを第二のムハンマド、ムハンマドの再来などと言っている。
カトリック文化圏内部で大地殻変動が起こった時に、互いを非難するためにコーランが利用されたというエピソードは示唆に富む。
詳しいことはいつか書くかもしれないけれど、ここにいったんメモ。
フランス語版だがwikipedia記事を貼っておく。