今年はブルターニュのサンタンヌ・ドレイ(オレイの聖アンナ)で1625年に聖アンナの像が発見されてから400年の記念の年だった。
ブルターニュでは毎年パルドンと呼ばれる聖アンナ像を担いでの巡礼があって、その最終地がこの場所だ。
聖母マリアの母アンナは福音書には出てこない女性だが、いわゆる聖書外伝や中世以来流布した『黄金伝説』の中のマリアの伝記によって広く知られている。(聖アンナの画像は五世紀頃には現れているようだ。)
フランスとしては、オーストリアからルイ13世に嫁いだアンヌ・ドートリッシュが世継ぎに恵まれなくて、自分の名の聖女である聖アンナに祈ったことで未来の太陽王ルイ14世を授かったことで有名だ。
もう子供を産めない年齢だった聖アンナが聖母マリアを身籠ったのも奇跡であって、聖アンナは全ての妻、母親、不妊の女性、祖母、教育者(幼いマリアに読み書きを教えた)などの守護聖女となっている。
で、ブルターニュの「オレイの聖アンナ」Saint Anne d’Aurayというもともと聖アンナ崇敬が盛んな土地で、イヴ・ニコラジックという裕福な農民の前に1624年に聖アンナの「御出現」があった。
東ローマ帝国ではユスチニアウス帝が6 世紀にキプロス島に聖アンナの聖堂を作り、その後ユスティヌス二世の妻に聖アンナの御出現があったと言われているが、ローマカトリック世界では、このブルターニュでの御出現が最初で唯一とも言われる。
なぜブルターニュかというと、イギリスからのカトリック亡命者が聖アンナ崇敬をもたらしたからだ。(ここではいつも便宜的にイギリスと書いているけれど「グレート・ブリテンと北アイルランド」と呼ばれるようにブリテン人とブルターニュに渡ったブルトン人は同じルーツだ。)ではどうしてブリテン人が聖アンナを崇敬していたかというと、これも、乱暴に言ってしまうと、聖母マリアもそうだったけれど、いろいろな地方のいろいろな時代の「女神信仰」が習合したというわけだ。そして、フランス革命の後ブルターニュからカナダに亡命した修道会や移民が多かったから、ケベック州には聖アンナの聖堂がいろいろ創られたというわけだ。
いつかくわしく書くかもしれないけれど、ブルターニュの行列の終着点ということで、この地の求心力は大きく、今年400年(ご出現は1年続いて、次の年に奇跡の像が発見された)の祝年にはヴァティカンから教皇の命題でサラ枢機卿がミサを司式した。
TGVでヴァンヌに着く。ヴァンヌには今まで一度だけ来たことがある。なんと49年前のこと。高速列車もなく、コンパーティメントに分かれた1等車にはじめて乗ったのをよく覚えている。それを予約してくれたのは今はカナダに住むDだ。なつかしい。
ヴァンヌから車でサンタンヌ・ドレイのバジリカと同じ通りにあるホテルに直行。聖アンナのご出現を何度も見たイヴ・ニコラジックの家のすぐ近くだ。こじんまりしたホテル。

それでも庭があって温水プールもある。でも今回はホテル滞在が目的ではないから、バジリカ聖堂に直行。

400年祭の小旗や幟が通りにずらりと掲げられている。

迫力あるバジリカ聖堂。

聖域の説明、回廊、アカデミー、資料館、公式の記念グッズ売店などが敷地内にある。

敷地内にある聖地巡礼者のための案内所。

敷地内にはレストランもある。ブルターニュなのでさっそくガレットで昼食。そば粉ではなくて黒小麦でつくられたガレット。

リンゴジュースとシードル。

食後は聖堂をひとめぐり。

これはどの教会にもあるイエスの「聖心臓」(み心、サクレクール)の像だが、なんだか少年ぽくって愛らしい表情だった。


聖アンナについてはゆっくり書くつもりだけれど、フランス語の解説をここに貼っておこう。(続く)